濡れ羽色

ビスケットこぼす高枝梅雨鴉

春日大社の外国人観光客のおびただしいこと。

その観光客の残りものを狙う鴉もまた集まってくる。
めざとく見つけたビスケットは梅雨湿りでもしていたのであろう。
ぼろぼろと崩れるのを咥え高い枝に移る。
雨の春日の森の暗いなかでたくましく生きる鴉の黒は、まさに濡れ羽色で美しいものだった。

もじゃもじゃ

対岸のひとつばたごのもやもやと

どういうわけか、香りがない。

ナンジャモンジャというのは強烈に甘い匂いを発するはずなのだが、今日見たのは鼻にかざしてもまったく匂いがしなかった。
それとも散りはじめるともう匂いはなくなるのか。
名前の通り、遠くから見ると木全体がもじゃもじゃしているように見えて、大陸から渡ってきたような趣のある木だ。

レプリカ

荘厳の古りにしよけれ古都の春

興福寺の新中金堂をながめてつくづく思った。

古都・奈良のよさはその「古びよう」にあるのではないかと。
ぴかぴかの黄金もいいが、まぶしすぎてどこか成金趣味を覚えてしまうのだ。そこへいくと、やはりくすんだ金色のほうが心が和む。唐招提寺金堂の三尊像、薬師寺東院堂の聖観音像、などなど。
ニュースによると、修復中の薬師寺東塔の水煙が新しく作り替えられるという。あの凍れる音楽の象徴とも言える水煙が、新しくお目もじかなったときには、もはやレプリカにすぎないものとなる侘びしさ。もう風雪に耐えないのなら止むをえないとは思うが、どこか残念という思いは拭いきれない。せめて、塔とバランスのとれた渋い水煙が起ち上がることを望むものである。

「新年」という季題は非常に便利な、といったら語弊があるが、季語としてはたいへん幅広いものを包含する季語である。
傍題には本意である「年の始」をはじめ、「年改まる」「年頭」「初年」「年立つ」「年迎」「年明く」のほか、陰暦では「春」と同時期にくるので「初春」「明の春」「今朝の春」などがある。これを応用して「〜の春」となると無限に使い回すことも可能である。下手に使うと安直に流れて失敗もするが、掲句ではどうだろうか。
これは年賀状にでも使えそうな句なので来年用に取り置くかとも思ったが、それまで生きてる保証もないのでさっさと公開します。

五十歩百歩

涸れさうで涸れぬ懸樋の水細し

初句会は東大寺、春日大社周辺。

興福寺の新中金堂はいかにもピカピカで誰もが詠むだろうかと、あえてひとり逆のコースをたどった。
まずは東大寺へ向かう途中で吉城園に入ると、ここには句材がいっぱいで句帖にはたちまち十句をあまるものを得られた。五句出句の句会なので、これ以上場所を変えなくてもよさそうにも思えるほどだ。
吉城園は茅葺きの茶室が有名で、茶庭、つくばい、四阿、それぞれに句材がある。
ただ、出句にするのを選ぶのに迷うのはどれも五十歩百歩、帯に短し襷に長しのようなものばかりなのには参ったが。

五年の月日

堂廂翳る格子のいぼむしり

半分ほど枯れている。

「蟷螂枯る」は初冬の季語。もっとも、蟷螂には最初から枯れ色している種類もあって、冬になったからと言って変色するわけではないが、ものみなすがれる中に生き残っていると目立ちやすくもなって、そのあわれを言う季語である。
秋篠寺の本堂は奈良時代のものとあって、屋根を含めて堂々としたたたずまいで南面している。おおきな廂が影を作るものの、やはり秋である。昼前後の日差しは堂壁の下三分の一ほどにさし込むようになった。日の当たる部分の壁、柱は秋の日差しにほんのり温かい。
秋篠寺の技芸天を詠んだ稲畑汀子の名句、

一枚の障子明りに技芸天

があるが、その汀子の句を天下たらしめた障子戸の格子に蟷螂が動かないでいるのだった。

秋篠寺は5年前結社に入会して初めての吟行にして、初の句会体験をした思い出深い場所だ。
悲しいかな、5年程度ではめだった句力の向上も感じられず、すごすごと元来た道を戻るしかなかったのであるが。

腐らずに

虫逐うて世間話の団扇かな
相槌の団扇二ふり三ふりして

団扇は風を送るためだけにあるのではない。

相づちを打つときの小道具としても、これ以上のものはないとも言える。
宮滝の象山のとある集落で、数人の主婦が一軒の車庫で井戸端会議している。
みんな手に手に団扇を持って愉しそうにしているので声を掛けてみたら、いつもより遅い移動スーパーを待ちながらの世間話だそうである。
山の水が豊富で困らないこと、稲の穂が出るのは日当たりがこの地区では遅いこと、などなど暮らしの一端などを気さくに聞くことができた。山の暮らしをちっとも不便に感じない屈託のなさがこの集落の空気を支配している。

昨日の句会には、

屯して移動スーパー待つ団扇

いくらか詠めたかなと思ったが、一票も入らず。腐らずに何度でも詠んでやるぞ。

食欲旺盛

端山にも名ある吉野の今日の秋

今日から秋である。

と言っても、実感は全くないのであるが、台風のもたらした偶然なのかどうか今日はいつもより五度以上も低い。
吉野吟行はおかげでドタキャンもなく、無事に終了。
先月は猛暑の中、少々歩くコースだったので恨み声も聞かれたが、今日は全くそういう声はなし。
むしろ、毎日の暑さを乗り切って夏負け知らずの面々。昼食の炊き込み御飯もぺろりと平らげ、お代わりするご婦人のたくましいこと。
こうでなくては俳句は続けられない。
年長の方々のエネルギーに舌を巻いた一日であった。