花籠

ちりぢりに通夜客別れ冴返る
料峭や通夜席甘き花の籠

まほろば句会の選者が亡くなられた。

この一二年めっきり足腰が弱られたが、直前まで元気に投句されて、最後は入院先で九十三年の生涯を閉じられた。
初めて句会というものに参加したのは六年前、都度眼前の季題のとらえ方など丁寧にやさしくご指導いただいたことが懐かしい。
この「料峭」という言葉を教えてくださったのも先生で、寒の戻りが厳しかった今日の風に似合う言葉であろう。
ホールの中は暖房もよく効いて花籠の百合やカトレアなど甘い香りが会場いっぱいに広がっていたが、外との気温差は大きく通夜の儀を終えても誰も語ろうとせずそれぞれ帰途についた。

遠山ありて

ぬきんでて尖る山あり雪の山

案の定東山中の雪は解けたようだ。

かわって奥の山の白さが増してきたようだ。
とりわけ大峯の山々、そして独立峰の高見山が見事である。
明日からは春だというのに、雪山の雪山らしく見えるのがこれからだというのは不思議なものだ。

春近し

補助輪はもういらないよ春よ来い

最近は補助輪を使わないほうが早いといわれる。

あらかじめペダルを外してしまって、両足で地面を蹴りながらバランスよく前へ進むことから始めるそうだ。
まずはバランスをうまくとることからスタートさせるというわけだ。これに慣れたら再びペダルを取り付け、そしてハンドル、ブレーキと徐々に慣れさせてゆく。
今日は土曜日とあって公園には家族連れが多く、そのなかにヘルメットがよく似合う、真新しいペダル無し自転車にまたがった女の子が両親を従えてすたすた進んでいるのをたまたま見つけた。あの様子ではつぎのステップに進めそうである。
そうなると、この春は自立して乗れる日も近いのではないか。
這えば立て、立てば歩めやじゃないが、親御さんも日々の成長が楽しみでしょうがないであろう。

今日は気温が上がって三月の陽気だという。そう言えば明日は節分。明後日はもう立春である。
「春隣」「待春」などの季題詠むひまもなく春になってしまいそうである。

生駒冠雪

週末の見舞ならひに日脚伸ぶ

水面を返す光りに力が加わってきた。

直視すると思わず目をつむってしまうほど眩しい。
光りに力が増してくると同時に、日照時間もはっきりと分かるほど長くなってきた。
いつもなら、復元された大きな古墳のそばを素通りするのだが、これもまた復元された円筒埴輪の列が光りにくっきりと浮かぶのを見て、久しぶりに一番高いところまで登ってみた。
意外に高い。東山中の山々、音羽三山などもはっきり見える。それぞれ雪化粧している。昨夜の雨が高いところでは雪だった模様だ。そう言えば、今朝は信貴山の方から降りてくる車の屋根には雪が積もっていた。
生駒山も今朝は頂上部から暗峠にかけて雪模様だ。
ただ、夕方には解けてしまったのかいつも通りの黒い山容を見せていたけど。

完熟

大寒の堆肥起こして穢れなく

いかにも柔らかそうだ。

スコップを入れればさくっ、ふわっと持ち上がりそうである。
トラックの荷台に十分発酵した堆肥がうずたかく積んである。この間まで花をいっぱいつけていたバラがみな短く剪定されて、今日は寒肥を施す作業に入ったようだ。
堆肥だから発酵させるために牛糞やら鶏糞なども投入したはずだが、その面影は微塵もない。完熟堆肥なのである。
今までゆっくり寝かされていた堆肥に手をさし込めばまだ温みも残っていようし、これだけ見事な寒肥を施されれればバラも気持ちいいに違いない。

食物連鎖

遠眼鏡のぞいてあれは大鷹と
墳丘の間に落つるや鷹の急

今日はオオタカを二度発見。

一度目は生駒へ向けて着陸態勢に入った旅客機を見ていたとき。丘陵から丘陵へおおきく輪を描きながら渉りゆく姿を見つけた。これは一度双眼鏡を外したらもう視野には戻らないくらい遠くに消えた。
二度目は古墳公園の上空を渉猟しているようで、ゆったりとした輪を描く動きだったのが、突然落下しはじめて古墳の林の奥に消えた。あっという間の出来事で、ドバトかヒヨドリでも犠牲になったのかもしれない。
正月に初めて鷹を見つけたので、その後上空や高い樹の上などに注意していたが、やはり林の多い丘陵地帯をテリトリーとする大鷹がいるようだ。ほかにもハイタカのすばやい飛翔も目撃しているので、いつもの散歩コースは食物連鎖の完結を実現出来るすばらしい自然環境と言えそうである。

模様

三輪山へ麦の芽縦や横の列

三輪山のふもとに広がる麦畑。

かつて桜井市を中心として一大麦の産地であったあたりも、ごく狭い範囲に限られてきているようである。
三輪素麺の原料だって外からきたものに頼らざるをえない状況であるし、かつて麦粉で作られた餅がおりおりに食べられた風習もすっかり廃れた。この麦生産と同様に風前の灯火となったのが綿花栽培で、大和高田市でほそぼそと往時を偲ぶ活動が始められ、何とか大和綿花を残そうという動きもある。
月に一度の榛原の句会に向かうたび、三輪山の季節の移ろいを楽しんでいるが、麦秋のころの眺めにおおいに郷愁をさそわれる。先日通りかかったら、半年間ただの土色しか見せていなかった畑に麦がしっかりと芽吹いているのを見つけた。まだ出揃ったばかりで麦踏みにはいくらか間がありそうだが、それだけに芽の並びもはっきりとしていて、南北に並ぶ畑、東西に並ぶ畑が入り交じりになって美しい幾何学模様をなしている。
来月通りかかったらどれほど成長しているか。観察が楽しみとなってきた。