尽きない

丈ほどに猫の爪研ぐ障子かな

気がつくとまた爪痕が増えている。

どれも背伸びした高さに四筋の跡がくっきりと。
畳に座ると目の高がちょうど破れているわけで、張り替えてもすぐに破られるイタチごっこなので、とうとう張り替えの頻度も落ちてゆく。
今の猫どもは子猫時代壁紙を相手に爪研ぎする癖にほとほと手を焼いたが、秋に来た子はやたら紐の類いをかじる癖があってその防御に躍起である。
猫を飼っているかぎり、この悩みは尽きない。

いたずら盛り

犬猫の寿命伸ぶ世や漱石忌

12月9日は漱石の忌日。

お札の顔にもなった立派な風貌だが、持病の胃病には悩んでいたというのは有名である。
当地奈良であの子規の柿の句が生まれたのも、友人漱石から借りた旅費10円があったからだ。
子規は人をものにたとえて呼ぶ癖があり、柿は漱石を意味する暗号コードだとも。あの有名な句は漱石への挨拶句というわけだ。
我輩君は終生名前のないまま不慮の死をとげるが、わが家の猫どもはそろって立派な和名の名をもらっていまのところ病気知らずである。
9月に迷い込んできた虎君も2キロ近くまで大きくなって、いたずら盛りの10歳の少年というところだろうか。

ポジションランプ

弾正が最後の山の冬木立

空鉢護法堂のある雄山の頂上に木立のシルエットがくっきり浮かぶ季節となった。

この冬木立が平群谷のどの角度からもはっきり認められる頃は、燃えるような雑木紅葉が終盤を迎え、山が赤茶けいちだんと冬めいてくる時節だ。
信貴山城の跡でもある雄山頂上へは、信貴山寺本堂からさらに700メートルの階段と千本鳥居をくぐり抜ける厳しい道である。
たどりついた護法堂のすぐ下には想像を超えるような規模で信貴山城跡があり、最後まで信長にたてついた弾正が平蜘蛛の釜とともに爆死したと伝わる場所がそこにある。
麓の立野地区は山城の出城として数段の大規模な立野城があったところで、町の目立たないかたすみに弾正の慰霊塔がある。地元では人気の武将でもあったらしい。
夜ともなると、空鉢護法堂のあたりに灯りがともされて、それは盆地の遠くからでもはっきりと見えるほど明るい。
その上空を伊丹方面へ降りてゆく旅客機のひっきりなしに過ぎるポジションランプがきらきらと美しい。千メートルもない低い高度だが着陸なので静かにである。
星も月もいちだんと輝きをます季節となった。

骨が感じる

うたた寝のいかんいかんの風邪ごこち

何となく骨に来ているような。

はっきりととした風邪ではないが、骨ごとだるいような、まるでインフルにやられたような。
夕方日が沈みかけて一気に冷気に襲われてくると、うたた寝に落ちようとする身に警告を発しているようだ。
こういうときは要注意。
今夜は早く寝ることとしよう。

火の用心

非常食食す団地の師走かな

恒例の防災訓練デー。

消防署から指導員を招いて団地住民の啓発活動である。
消火器の訓練は、消化剤にみたてた水をいかにスムーズにターゲットに当てるか、防火栓をどうやって開け、使うか、など専門家から指導があり、それが終わると非常食の試食会。カレーあり、シチューあり、パスタあり。米も水や湯で戻すだけで三分ほど待てば、付属のスプーンで美味しくいただける。そう、防災食と侮るなかれ、結構これが美味いのだ。
あれこれちょっとずつ試食するともう一食分腹に入った勘定で、昼食はスルーである。

昔は暖房など火に頼らざるを得ず、また空っ風もあって冬は火事の多い季節だったので、火事は冬の季語となっている。石油ストーブを使う家の割合も減っているが、やはり冬は火の用心である。

正時のメロディ

カリヨンの帰宅うながす冬野かな

公園もクリスマスの準備に追われていた。

立派なツリーに光り物をいっぱい吊るし、花壇にはトナカイの張り子を配置したり、木々には電飾のランプをつけたり、準備着々と進んでいるようだ。
週末の今夜当たりからスタートするのかもしれないが、こんなひなびた公園のライトアップを見に来る人がいるのかどうか、ちょっと疑問だが、これもまた県の事業なので事業効果はお構いなしなんだろう。
二三年前に通りかかったが、当たりは真っ暗で夜が底冷えするような内陸で、とくに人で賑わっているようでもなかった。

公園の一画にカリヨンの丘と称して、正時に同様が流れる仕組みだが、音色は北風にきれぎれで明瞭には聞こえなかったが、午後三時のメロディは「故郷の空」のようだった。これから一気に日が落ちていくとともに、気温もぐんぐん下がる時間帯を迎え、帰宅をうながされているように聞こえてくるのだった。

気を揉む

羽づくろひときどき潜き浮寝かな

今日は珍しいカイツブリを見た。

いつもの池にいるのは小型だが、今日のは鴨並の大きさで羽の色も首から胸、腹にかけて白っぽい。
鳥撮りのひとに尋ねると、カンムリカイツブリだと言う。
寝ているようでいて、ときどき羽繕いしたりしてはまた眠る、かと思うとちょっと潜ったりして、いまは一体何に没頭しているのやらよく分からない。
毎年やって来る水鳥もほぼ出揃って、あとは陸上の冬鳥たちの到来を待つばかりである。双眼鏡をもって散歩するにしても、まだ活躍の機会は少ない。早く来てくれないかと気を揉む毎日である。