ピークアウト

橋銘板に残る字の名苔の花
苔咲くや木橋の欄干朽ちやすく

「苔の花」は夏の季語である。

苔の花

苔は梅雨のころ湿ったところに盛んに茂るものだが、生殖器官が苔の間から伸びてきて花のように見えることからこれを「苔の花」と見立てたものである。
これを今頃見かけたということは、この時期に相当苔の繁茂条件が整っている状態とみてよく、もう季節がどんどん人間の暦感覚を追い越してゆくようなものである。
人混みを避けて、人の少ない所をねらって歩けば、視線もふだん目の届かないところに届く。
新コロナウィルスがピークアウトするまでしばらくは、このような一人吟行で季材をこつこつ拾い上げてゆくしかない。

元山上

勸請縄古りて山居の夏の果
草つるみ勸請縄の夏果つる

雨風にさらされて古びた勸請縄に夏草が這い上っている。

平群谷の渓谷に勸請縄がかかっている。
これは生駒方面へ向かう電車が元山上口駅を出てしばらく行った右側に一瞬だけ見えるシーンだから、注意してないとほとんど見逃してしまう。
元山上とは、ここから生駒山地へのぼった先の「千光寺」の別名で、役行者が大峰山(山上ヶ岳)を開く前に修行したことから呼ばれる。さらに、ここは行者の母が修行したことから、女人禁制の大峰山に比し「女人山上」とも呼ばれている。いつかは訪れたいところである。
このあたり、いかにも断層帯が走っているようで、谷が切れ込んでは独特の景観をなしている。
その渓谷の底の集落の入り口なのか出口なのかに勸請縄がかかっているのである。古くからひっそりとした暮らしが営まれてきたのであろう。
これより秋が深まると、紅葉が美しい里である。

勝負

道問へば木槿の花で答へけり

今月より忙しい例会となった。

これまではただ事前に詠んで投句するだけで済んでたのが、幹事の務めも加わったのである。
これは想像以上に大変で、事前の準備もそうだが、当日の進行も気が抜けず自分の投句どころではなさそうである。
したがって当日はゆっくり当欄を書く余裕もなさそうで、勝負の句を予約投句とする。撃沈か、浮上か。それによっても疲労度は違ってきそうである。

蝉の声鐘の音

鐘涼し真神が原をさまよへば

いろいろ季材を探すのだが、これぞ秋というシーンはまだ少ない。

法師蝉も一声きり、桔梗も暑さのせいか元気がない。
早稲などは穂が育ちつつあるところもあるが、盆地のほとんどはいまだ花すら咲いてない。いまだ青田である。
きれいな水が流れる田には田螺が這い回る跡が目立つ。蜷の道だ。
そうこうしながら飛鳥をさまよっていると、飛鳥寺の鐘が聞こえてきた。この時期観光客もまばらで、耳に届くのはこの鐘の音と蝉の声。涼しさで言えば鐘の勝ちである。

自己責任

時期ずれの帰省の報も次子らしき

突然に帰省するという。

この気まぐれもいかにも次子らしい。
社会に出れば、最低限の知恵も備わるだろうから、好きなように生きて好きなように暮らすがいい。
それにしても、「自己責任」という名で生きにくくなった世であることよ。

大夕立

朝顔や保育児送る日々のまた

盆休みが終わって、お隣に静けさが戻った。

二児とも学童保育、幼児保育で昼間はいないので窓はしまったままだが、去年採った種から育てたという朝顔がいっぱいフェンスにからまっている。
昔からよくある紫がかった紅色で、この暑さを堂々と咲いている。
水やりは帰宅後されているようだが、今日は久しぶりの夕立でそれも不要のようである。
それにしても、今日の雷はしつこい。何時までも、稲光もなくただいつまでもゴロゴロと鳴るだけで、雨ともにいっこうに止む気配がない。
外に出ると、日中かんかんに照らされていた大地の熱が水蒸気とともにたちあがって、息がむせぶほど蒸してくる。雨後の涼しさなんて期待できるのだろうか。

逃れられない

渋滞を抜ける細道雲の峰

それは見事な入道雲が横並び。

暦の秋とはうらはら。
空も、地上の熱も悲しいほどに真夏である。
その向こうに台風が控えている空とは思えないほど碧い。
予報では15日くらいに10号が上陸するやもと。
このまま西日本に向かえば、8年前の紀伊半島豪雨と同じコースをたどるらしい。
歴史は繰り返すと言うが、自然も同じこと。小さな存在でしかないものはただ従うしかない。