艶ある虹

三輪山に夕虹立ちて神さぶる

昨日は若草山、今日は三輪山に。

名のある山に虹がかかれば趣も増す。
とくに今日の三輪山の虹は見事な形、申し分ない色であった。
榛原での句会の帰り途、車窓にそんな立派な虹が立って、一同声を上げるのだった。台風一過とはとても言えない、重ったるいほど湿気がまとわりついて不快な気分を吹っ飛ばしてくれるのに十分であった。
この三輪山の巳さんは好色な神さんとしても知られていて、なんだか、今日は美しい女神を得て得意の絶頂にでもいるかのようにも見えて、なかなか色っぽくもある。
虹にこういう艶っぽい印象を抱くのは初めてで、物語でも生まれてきそうな気さえしてくるのであった。

冷涼とまで

とうすみの灯りにうかむ夜の底

夜の庭に、はかなげに蜻蛉がゆらめいている。

「とうすみ」とは「とうすみとんぼ」のことで、行灯のひも状の芯(とうすみ)に似ているので、灯心蜻蛉(とうしんとんぼ)とも呼ばれる。いわゆる、「いととんぼ」のことである。
夏の季語であるが、どちらかというと晩夏、初秋のイメージが強い。
急に寒いほどの夜、高くは飛べず地の底を這うような感じで、灯りに吸い寄せられるようにふらふらとやってきたようだった。
先日の吉野の句会場では、精霊蜻蛉が群れ飛んでいたし、空気は完全に秋だ。

甲子園

サイレンの尾や少年の夏果つる

今年は100回記念とかでチーム数、試合数が多い。

まだ二回戦だがいくつものチームが消えた。
試合終了のサイレンの尾が引いて、負けた球児たちの夏が涙とともに終わるのはいつもの光景。
優勝するためにはいつもの年より多く勝たなければならないだろうが、猛暑のなかでの連戦が続けば疲労の度はますますつのる。これまでにも、何人もの選手が足をつったりする場面が見られた。
体調を整えながら勝ち進むのも、チームの実力のひとつ。暑さに負けないで最後まで悔いのない戦いを祈るのみだ。

動物を飼うと

シッターを猫に残して帰省かな

今年の夏は誰も帰らないらしい。

わが家同様、猫を飼っているということもあって、まる一日家を空けるのは容易ではない。
動物ホテルにうまく適応できる子たちであればいいのだが、そうではない場合、うまく留守を預かってくれる人に水や食事とトイレの面倒をお願いするしかない。
そんなこともあって、年に一回帰省できればいいほうである。
この盆は爺婆だけの静かな三日になりそうである。

夏の帰省は旧盆のケースがほとんどである。だから秋の季語としたほうがうなづけるのだが、かつては夏に帰るのが通例だったのかも知れない。

腐らずに

虫逐うて世間話の団扇かな
相槌の団扇二ふり三ふりして

団扇は風を送るためだけにあるのではない。

相づちを打つときの小道具としても、これ以上のものはないとも言える。
宮滝の象山のとある集落で、数人の主婦が一軒の車庫で井戸端会議している。
みんな手に手に団扇を持って愉しそうにしているので声を掛けてみたら、いつもより遅い移動スーパーを待ちながらの世間話だそうである。
山の水が豊富で困らないこと、稲の穂が出るのは日当たりがこの地区では遅いこと、などなど暮らしの一端などを気さくに聞くことができた。山の暮らしをちっとも不便に感じない屈託のなさがこの集落の空気を支配している。

昨日の句会には、

屯して移動スーパー待つ団扇

いくらか詠めたかなと思ったが、一票も入らず。腐らずに何度でも詠んでやるぞ。

現調

築山の観音堂の蝉時雨

刈り込みの庭が見事な禅寺。

通常なら石庭なのだが、ここは石州流の祖と言われる片桐石州が創建した寺、慈光院である。
来月の句会会場となっているので、現地調査も兼ねて訪れたのだが、樹木の種類も多く一歩山門に入れば温度も幾分低い。ちょっと風もあるようで、堂内を風が抜けるのが涼しい。
接待の梅ジュースでさらに気分もすっきり。
このところ、毎日クマゼミが庭を飛び回っているので、いささか閉口していたが、ここでは蝉の鳴き声もどこか慎ましげで、気にはならない。
露地をめぐらせて、広い庭園を歩き回れるような趣向が懲らされているが、築山の上にはかわいい祠のような観音堂が見える。大きな木が覆っていてそこもまた涼しそうである。
実際に庭をめぐる楽しみは来月にとって置いて、今日は資料だけいただいて失礼した。

俳号なんとかしたい

紺浴衣学年ひとつ上にして

近所に評判の美人姉妹がいた。

歳は離れているのだが、妹のほうは私より一学年上で、たまに道などですれ違うたび眩しくてしょうがない対象であった。あるとき、姉が嫁ぐことになり、一目見ようと近所の人たちといっしょに駆けつけた。花嫁衣装の姉はますます美しく、周囲からどよめきがあがったり、溜息がもれるのがはっきり分かるほどである。
いっぽう、花嫁に付き添いの妹は、和装に包まれた姿がなんとも楚々として、ふだんよりぐっと大人びて見える。さらに姉に負けず劣らずの美しさである。
彼女が中学に上がって以後すれちがうことも少なくなったが、さらに一年後私が中学に上がると遠くから彼女と認める機会も増えた。ちょっと見ない内にさらに彼女が歳の差以上に大人びて見えて、手の届かないように思えた。
わずか一学期で転校となったので、その後の彼女の消息は知れないが、その名前は名字が母の旧姓と同じだったせいもあって今でもはっきり思い出す。
俳号を名のるとすれば、母方の姓でもと思うこのごろである。