涼しさの尺度

打たれては滝を裏見の菩薩かな

東吉野吟行。

涼しかった。と言っても三十度はある。
盆地より五、六度低いから、それでも涼しいと感じてしまう五体である。
先月の兼題句会で「滝」を詠んだばかりなので、もうひとつ興が乗らなかったが、それでも実際の滝を前にすれば何とか見えてくるものがある。
今日の「投石の滝」は何年か前に見たときよりも水量が多く、そのすさまじい音に圧倒された。
近くには寄れないが、一直線に落ちる滝の後ろに菩薩だろうか苔生した石仏が飛沫を浴びながら鎮座されているのを詠んだのが掲句である。

真っ赤っか

夕焼の濃きを没して生駒かな

いいところを全部生駒がもってゆく。

夕焼けの一番濃い部分がいつも山の影に沈んでしまうのだ。
だから、生駒山地の東の麓にあるわが家ではきれいな夕焼け空というのを滅多に見ることがない。
梅雨の頃、大気にたっぷり湿気を含んだ夕空がそれこそ真っ赤になるほど焼けるのを見ることがあるが、当地ではまず見られない。
それだけが残念である。

ノブ灼ける

七トンの渡船西日をもどりくる

小鳴門海峡のグラビアがきれいだ。

干潟の隙間を縫って通う渡船に、通勤通学の自転車の順番を待つシルエットが浮かぶ。
橋があるらしいのだが、歩道もなく坂をのぼったところにあるのでこちらの方が便利なのだという。
行程二分だが、四季折々の眺めが慰めてくれるという。
わが家は西に生駒山系を背負っているので、夕焼けなど西の夕景を楽しめないが、その分西日のあたる時間もいくらか短くてすむ。そうは言えども、西日の当たる玄関のドアノブをさわるには勇気がいる。

働き方改革

郵便の束もて配る日の盛り

最近郵便の配達時間が早くなった。

と言っても、午後2時過ぎなのだが。
郵便というものは午前中に来るのが当たり前という基本認識があるので、当地で下手すると夕方6時頃にもなってしまうと一日損したような気持ちにさせられていた。
それがここにきて急に繰り上がったのは、ノルマ廃止など局でも働き方改革なるものが始まりつつあるのだろうか。
それにしても、暑い日盛りに、熱いバイクにまたがって各戸に配るというのは苛酷な仕事である。せめて午前中に終了できるよう体制強化などできないものだろうか。

蚊の襲来

打水の念には念を入れてまた

打ち水をする端からタイルが乾いてゆく。

少しでも涼をとろうと、とくに西日が強い玄関まわりを中心に何度も水を打っている。
これがここ数日の夕方の日課であるが、暑さとの戦いでもあると同時に蚊との戦いでもある。
腰に蚊取り線香をくゆらせながら。

気合いだ、気合いだ

片陰を遮るもののゐたりけり

午後の日差しが強烈だ。

とくに11時から2時頃までは出歩く気がしないが、やむを得ず外出するとなれば自然に陰を選って歩いている。
ただ、2時をまわって3時とか4時頃となると陰も十分できて、少しの風の後押しがあればずっと楽になる。
今日も今日とて、上り返しの一番少なくかつ陰の多いルートを選択。
息も上がらず無事帰宅となった。
それにしても、この暑さ、当分続くことを思い合わせると念力の緩まぬように「気合いだ」「気合いだ」とムチを入れつつ、八月を迎えることになる。

いじめる

ひび走る水無月の田となれりけり

極暑の帰路についていたら、青田がすっかり干上がっているのを見た。

水無月を今の六月だということも多いのだが、文字面でいけば炎暑のために水が涸れて無くなる月、したがって梅雨が明けた七月の今ごろとするほうよほどしっくりする。
ただ、農家の知人の話では、根張りをよくするためいっとき水を断っていじめることがあるようであり、もしかすれば今日見たのはそういうことだったのかもしれない。というのも、田の脇にはいつも山の溜池から引いた水が豊かに落ちているので、水不足ではないはずだからである。
風の抜ける隙間がないほどにびっしりと育ち、稲の花が咲く日も近い。