おそまきの秋

傷つきし柚子のえくぼを愛しけり
柚子の香をあばたもともに愛しけり
棘とあばたとそれも愛してゆず香かな

まだ棘が残っていた。

枝がまだ若くて伸び盛りの頃、棘もまた成長中のものは柔らかいので見つけては伐っていたのであるが。
今日あたり、色もすっかり整っていい時分だからと手を伸ばすと、その固く成熟した棘の残党にうっかり触れてしまったのだ。
而して、痛みの代償としていくばくかの果実を得たのであるが、今年は数が少ない分一個の大きさも形も花柚子としては上出来のようである。
皮が痛んだものは風呂、殘りはジャムになるだろう。
柚子湯は冬,柚子単独では秋の季語だが、色形ともに美しいのは今ごろである。
林檎、洋梨、そして珍しい冬の梨と、各地からの到来ものに囲まれてデザートのゆたかな今こそわが家の最高の秋なのである。

暗峠粧う

平群谷西を東を紅葉谷

平群谷はいま雑木紅葉が真っ盛り。

西側は生駒から暗峠、そして信貴山にかけての生駒山地、そして東側は矢田丘陵に囲まれて、近鉄生駒線の短いローカル線はちょっとした旅心をさそわれる。
今日はまたとくに、暗峠に日が当たりそれはそれは雑木紅葉が見事な景観を見せてくれていた。
信貴山の御鉢はすでに葉を落として冬木立となっているようで、午後の光に何本ものシルエットを見せている。
きょうの紅葉をピークに、やがて冬の色を深めてゆくのだ。

立ちつくす

まのあたり紅葉且散る浄土かな

紅葉の素晴らしさに見とれていると、たいした風もないのにぱらぱらと音がして崩れるように散ってゆく。

声にならない感嘆のなかで欅の黄葉が散るのである。
葉ずれしながら落ちる音だけがその後も耳に残って、また次の落葉を待ちたいと思った。

足りる

大槻の一樹で足りる紅葉狩

欅紅葉の色が一層濃くなってきた。

野山がすっかり黄葉、紅葉してくると、たった一日ですっかり様相を変えてしまうほど移ろいは速く、毎日同じコースを歩いていてもまったく飽きることがないほどだ。
そのなかでも欅というのは大樹に育つ木であり、これが単独で丘などに聳えていると、姿形の申し分ない姿といい遠目にも堂々として見えて心奪われるものがある。紅葉を楽しみに外出して、たまたまそのとき、その木にとって最高のコンディションに巡り会うことができると、もうその一本見ただけで今日の目的を果たしてしまったような深い満足感のなかにひたることができる。
暦では秋だが、紅葉シーズンはこれからとあって各地から紅葉情報が届くが、見慣れた欅大樹の一本で十分心満たされることもある。

押し売り

軒先に菊をつらねて伊勢街道

菊花展が各地で開かれているころ。

宇陀の旧伊勢街道を歩けば、各戸の軒、玄関先に見事な菊が通る人の目を楽しませてくれる。
たまたま家から出てきた主に話を伺うと、町内に好事家がいて各戸はそれらを借りたものだという。
どれも立派に咲かせて、町内がいちどにぱっと明るくなるのならば、そういう押し売りもまた悪くない。

糊口

乾涸らびて枝より細し鵙の贄

冬の季語かとばかり思っていたら、「鵙」の傍題で秋である。

冬には葉が落ちて発見しやすいところからそういう思い違いをしていたのであろう。
ともあれ、小さなばったが叫喚の大口を開けて枝に乾涸らびていたのである。
鵙とてこんな小さな虫をあちこちに刺したとて、冬のあいだの糊口しのぐには頼りないことであると思うが。

お奨めコース

櫨の実を食らふ鴉のまりにけり

南京櫨の白い実を夢中で四十雀の群れが啄んでいる。

烏がやってきて頭の上でおなじく実を啄みだすのも構わず一心不乱のようである。
何しろ蝋の原料にもなるのだから、脂部分が多くて食えないと思うのは人間だけで、鳥たちにとっては冬に供えての栄養になるのだろう。
奈良には南京櫨の木が多い。特に東大寺大仏殿裏の正倉院にいたるところには、遠目にも何本もの大樹が見事な紅葉を見せてくれる。葉が厚く、木全体が深紅に染まるとそれはもうたいそう立派な紅葉樹なのである。
銀杏黄葉がすばらしい大仏池といい、初冬は大仏殿裏手の散策は人も多くないし、おすすめの散策コースである。