荒食い

秋風に嘴みなかざす川鵜かな

大和川河原に川鵜集団が並んでいる。

川鵜というのはこういうときって、両翼を広げて日干ししていることが多いのだが、昨日目撃したのはまるで風の匂いでも嗅ぐように一様に嘴を天にかざしていたのだ。
あれはいったいどう言う行動パターンなのだろうか。
これから冬に備えて荒食いする季節が來たぞと言い交わしているのか。
鯉が多い川であるが、その鯉の稚魚たちにとっては受難の季節かもしれない。過去目撃したのでは30センチを越えるのだって餌食になっていたのだから。
みぃーちゃんも暑さを乗り越えて食欲が出てきたようだ。

橘寺にて

卵塔に止まず注ぐよ法師蝉

集団となると輪唱しているようだ。

いったい何匹いるかの見当もつかないくらいだ。一匹でさえ飽きもせず繰り返し繰り返し鳴いて賑やかな蝉だが、いったいあれは何の経文を読んでるんだろうか。
さすが橘寺の法師蝉である。

ベスト4

甲子園残り四校涼新た

家人がボールペンをもって何やら書き込んでいる。

どうやら、それは新聞の折り込みについてきた、全出場校が載った甲子園のトーナメント表のようである。知らない間に取っておいたものだろう
今日ベスト4が決まった。
その戦績の軌跡が太くはっきりと記されて、破れた幾多の高校の名を思い起こすことができる。
明日は休息日。
準決勝、決勝の熱戦を期待したい。

聞き分ける

わんわんとうなるなかにもかなかなと

仏壇で朝の挨拶をしていると、たしかに聞こえた。

ジージー、ミンミン、いろんな種類の蝉の合唱のなかからかすかにかなかなの声が。
読経を終えてあらためて耳を澄ませて聞こうとしたが、それはもう一回切りだったようで、本格的なヒグラシの季節はもう少し先になりそうである。
まずその前にはつくづく法師が来なくては。

木造家

白粉花の暮れゆく二軒長屋かな

そろそろ白粉花の季節。

この花の名を口にするだけで、幼い頃の記憶が蘇ってくる。
昭和の20年代というのは、住宅復興もまだまだ進まず公営住宅に入ろうにも高い倍率であった。たまたま市営住宅に当たったとき、「宝くじに当たったようなものだ」と父は口癖のように言うのであった。
そのせまい平屋住宅を飾るでもなく白粉花が咲いて、それが妙に木造の二軒長屋には似合うのだった。

やっと普通の夏日

ハリケーンの国より電話野分なか

拍子抜け、肩すかしとはこのことか。

やっと夕方になって雨が来たが、普通の雨と何も変わらない。風も吹かない。
これが盆地の天気だ。
険しい風雨は中央構造線を越えては盆地に来ないのだ。
だから、水不足には昔から悩まされてきたし、たまにちょっと降っては元来湿地帯であった盆地は洪水に悩まされてきた。
気温が30度切ったのは今日の救いである。

百年時代

延命措置互ひに拒み生身魂

昔は七十歳と言えば、もう立派な生身魂。

子規に、

生身魂七十と申し達者なり

という句にあるようにおそらくそれこそ「古稀」であったのだろう。
百年時代といわれるいま、爺婆そろって元気は何よりだが、おたがいに延命措置は望まぬことを話し合っている昨今である。