三日月

冴返る君送る夜は月尖る

今日も五、六度しか達しない寒さ。

そう言えば、昨夜通夜の帰りに生駒の西に今しも沈まんかという三日月(正しくは四日月)を見た。
地に近くなると、しかも大阪の夜の明るさが背景にあると、月には澄明さが失われるのだと実感した。
明日も、明後日も寒い日が続くという。
こうなると、冴返ると言うよりは「冴ゆ」と言ってもおかしくはないほどだ。

花籠

ちりぢりに通夜客別れ冴返る
料峭や通夜席甘き花の籠

まほろば句会の選者が亡くなられた。

この一二年めっきり足腰が弱られたが、直前まで元気に投句されて、最後は入院先で九十三年の生涯を閉じられた。
初めて句会というものに参加したのは六年前、都度眼前の季題のとらえ方など丁寧にやさしくご指導いただいたことが懐かしい。
この「料峭」という言葉を教えてくださったのも先生で、寒の戻りが厳しかった今日の風に似合う言葉であろう。
ホールの中は暖房もよく効いて花籠の百合やカトレアなど甘い香りが会場いっぱいに広がっていたが、外との気温差は大きく通夜の儀を終えても誰も語ろうとせずそれぞれ帰途についた。

寒い雨

弔ひのけぶり真白し冴返る

盆地の底冷えのする日は風がない。

盆地の周囲を見渡すと白い煙が幾筋もこもるように昇っている。
昭和の時代、自治体の合併が進まなかった当県では、当然のごとく美化工場、火葬場の統廃合も進んでないからであろう。

昨日一日だけは気温も上がって喜んだが、たった一日で冬が戻ったように寒い。
寒いうえに雨ではよけい寒さがこたえる。

今冬一番

平日の間引き運転冴返る
朱印所に応答あらず冴返る

晴れてるがどこか寒い。

風の所為だろう。
ただ、予報では70/60の確率で雨または雪なのに、一向に天気が崩れる様子はないのが助かるが。
この寒さは今冬一番で一週間ほど続くと言うから、まさに寒が戻ったようなものだ。
この分では、明日も同じような季題を詠むことになるのかもしれない。

国民服の先生

補習受く蒲鉾校舎冴返る

今はもうさすがに見られないだろう。

カマボコ校舎である。
元勤務地が旧軍開発地区にあって、20年ほど前に見たのが最後。テスト機などの格納倉庫として使われていたので相当大きなもので、戦後も長く倉庫として活用されていた。
いっぽう、校舎として使われたのは大抵は元兵舎であったもので、校舎が不足する時代には各地で活躍した。
雨露をしのげればいいというだけのものだから、春秋はともかく夏冬は大変である。
記憶をたどってゆくと、「もはや戦後ではない」と白書に言われて後も、国民服というのだろうか、年間通じて軍服のようなもので通した先生がいたことを思い出した。

季語の少なさに頭を痛めた2月もあと一日。
2月の代表的な季題「冴返る」はまた来年に。

足の裏から

勤行の内陣響もし冴返る

しばらくは寒が戻るという。

今朝は想像以上に冷えて、底冷えでは今季二番目かと思えるような厳しさ。
いわゆる、寒の戻りだが、「余寒」(傍題:残る寒さ)と言ってもいいかもしれない。
大寺の天井の高い本堂などでは、日が差し込まないこともあってか、春とは言っても、冬の寒さが残るような日がまだまだ続き、「春寒」とは微妙に違う寒さに包まれる。
それこそ、床の冷たさが足裏から伝わってくるようだ。

国つ神のシンボル

両の杖突いて参道冴返る

二の鳥居をくぐった途端冷気が体を包む。

やはり鬱蒼とした神域の森の中に入ると自ずから霊気にみちた厳かな空気に包まれる。
鳥居からは緩い上り坂になっていて、近所の氏子らしき参拝客が絶え間なく拝殿にむかっていく。中にはもう足腰も覚束なくて2本の杖の助けがないと参拝もできないという高齢の信者もいて、ほんとにゆっくりゆっくり休み休みのぼっておられる。
こういうお姿を拝見すると、三輪さんが庶民の間に広く慕われていて今でも多くの人に信心されているのがよく分かるのである。お伊勢さん、あるいは同じ県内の春日さん、橿原神宮ではこうはいかないだろう。

やはり自然神の代表選手なのである。