名のみの春

遠山に電波塔六基冴返る

朝起きたら雪が降っていて、屋根や道路にうっすら積もっていた。

間もなく雪は止んで晴れてきたが、葛城山ほか遠くの山がくっきり見えるほど空気が澄んで風の冷たさは変わらない。赤白に塗り分けられた生駒山のテレビ塔も肉眼ではっきりと数えられる。
奈良は今年一番の冷え込みだったとか。明日はさらに零下3度の予報。春は名のみの如月。

季語「冴返る」の句、他2編ほど。

右信貴山左龍田へ冴返る

懐手したる自転車冴返る

受験生

図書館に難逃るる日冴返る

朝明けてみると夕べからの雪は霙にかわっていた。

車の屋根に積もっている雪もどんどん解けてゆき、昼頃にはなくなってしまった。
ただ、冷たい雨が降り続き散歩に出かけてみようかという気分にはとてもなれず、昼飯を食べてから町の図書館に向かった。ここなら暖房もよく効いて心地いい時間を過ごせるだろうという算段だ。

閲覧室は某国立大過去問題集を広げている受験生もいて緊張感も漂っている。
今日は図書館の本ではなく、家から持参してきた本で時間をつぶす。

3時間ほどたって図書館をきりあげ、一冊借りてから家路につくことにした。

大峯山塊遠望

遠峰の白き耀ひ冴返る

今日はいつもより近く思った。

吉野の山のさらに向こうに真っ白にかがよう嶺がだ。空気が澄んでいるからだろうが、手前の竜門山系、吉野山とのコントラストも鮮やかに見事な山嶺を見せている。
しばらく見とれていたが、どうしても家人にも見せたくなり呼んでみた。

国つ神のシンボル

両の杖突いて参道冴返る

二の鳥居をくぐった途端冷気が体を包む。

やはり鬱蒼とした神域の森の中に入ると自ずから霊気にみちた厳かな空気に包まれる。
鳥居からは緩い上り坂になっていて、近所の氏子らしき参拝客が絶え間なく拝殿にむかっていく。中にはもう足腰も覚束なくて2本の杖の助けがないと参拝もできないという高齢の信者もいて、ほんとにゆっくりゆっくり休み休みのぼっておられる。
こういうお姿を拝見すると、三輪さんが庶民の間に広く慕われていて今でも多くの人に信心されているのがよく分かるのである。お伊勢さん、あるいは同じ県内の春日さん、橿原神宮ではこうはいかないだろう。

やはり自然神の代表選手なのである。

足の裏から

勤行の内陣響もし冴返る

しばらくは寒が戻るという。

今朝は想像以上に冷えて、底冷えでは今季二番目かと思えるような厳しさ。
いわゆる、寒の戻りだが、「余寒」(傍題:残る寒さ)と言ってもいいかもしれない。
大寺の天井の高い本堂などでは、日が差し込まないこともあってか、春とは言っても、冬の寒さが残るような日がまだまだ続き、「春寒」とは微妙に違う寒さに包まれる。
それこそ、床の冷たさが足裏から伝わってくるようだ。

国民服の先生

補習受く蒲鉾校舎冴返る

今はもうさすがに見られないだろう。

カマボコ校舎である。
元勤務地が旧軍開発地区にあって、20年ほど前に見たのが最後。テスト機などの格納倉庫として使われていたので相当大きなもので、戦後も長く倉庫として活用されていた。
いっぽう、校舎として使われたのは大抵は元兵舎であったもので、校舎が不足する時代には各地で活躍した。
雨露をしのげればいいというだけのものだから、春秋はともかく夏冬は大変である。
記憶をたどってゆくと、「もはや戦後ではない」と白書に言われて後も、国民服というのだろうか、年間通じて軍服のようなもので通した先生がいたことを思い出した。

季語の少なさに頭を痛めた2月もあと一日。
2月の代表的な季題「冴返る」はまた来年に。

今冬一番

平日の間引き運転冴返る
朱印所に応答あらず冴返る

晴れてるがどこか寒い。

風の所為だろう。
ただ、予報では70/60の確率で雨または雪なのに、一向に天気が崩れる様子はないのが助かるが。
この寒さは今冬一番で一週間ほど続くと言うから、まさに寒が戻ったようなものだ。
この分では、明日も同じような季題を詠むことになるのかもしれない。