本流をゆく

手拭を肩に案山子の心意気

トラディショナルな案山子を久しぶりに見た。

竹を十字に組んで、古浴衣を着せ、目鼻はへのへのへ、それを手拭の頬被りで覆ったやつである。
それも二体、相並んで睨みをきかせているつもりのようだ。
近年は、最新ファッションに身を包み、遠くからとか後ろからだと人と見分けがつかないタイプが、本来のフィールドを飛び出して駅前だとか、街中に立っては町おこしに一役買っているものが多い。当初の機能など鼻から期待してないのは明白である。
そんななかで、昔ながらの案山子道本流をゆく潔さを目の当たりにすると思わず声をかけてやりたくなる。
「よっ、大統領!」

右肩上がり

右肩の少し怒れる案山子かな

今日は飛鳥吟行。

飛鳥寺付近、祝戸付近(石舞台あたり)、稲渕付近、橘寺、天武・持統合葬陵。
おかげで句材はいたるところに困るほど。
最近では町おこしと称して見せ物案山子が多いなかで、雷丘を過ぎたあたりで本物の案山子二体を発見。
頬被りして古浴衣着せられ、昔ながらのスタイルである。
ちょっと滑稽だったのは、右肩上がりならぬ、右肩怒り。両裄は一本の竹だから、当然左肩下がりとなる。
伝統的スタイルの案山子が廃れてゆくなか、「右肩上がり」というのが妙におかしくて独り悦に入ったのであるが。

脱線

かな文字が下手と案山子のしかめ面
眉目のよき仕立ておろしの案山子かな
脳みそは詰めてもらへぬ案山子かな

「へのへのもへじ」は案山子の定番。
そしてそれは大概が下手な字で書いてある。
焦点が定まらずやぶにらみ。
孤独で。
雨で墨がにじみ。
風に傾いて。
鳥にも馬鹿にされそうで。
見た目も頼りなく。
実際に効果もなくて。
やがて文字もかすみ。
着たものは襤褸になり。
捨てられる。

そんな哀ればかりではないだろうが。

昨日、今日と、ちょっと句は脱線気味。

山田の中の

今風にファッション決める案山子かな

本格的な案山子というのは昨今お目にかかれない。

あるとすれば、それは村おこしの類いの案山子祭りだったり、単なるディスプレイにすぎなかったりする。
隔世の感があるのは、その姿形で、昔の案山子のイメージというのは童謡にあるような、いわゆる山田にあって一本足で顔は日本手拭いで頬っ被りし、目鼻口はへのへのもへじというのが典型であるのに対し、最近のは動物をかたどったものだったり、人間にしても実にリアルに作ってある。しかも形態が家族やグループであったりで、単にそこに立っているというのではなく、踊りとか何らかの動きが表現されていて服装もそれにあわせたものが着せられているなど実に多彩で、作った人たち自身が楽しみながら工夫を懲らしているのがよく見て取れることである。
なかには、人の着る新品のシャツとか着せてあったりするのにも驚かされる。

のどかな風景

田の神の案山子を借りて降臨す

今日は久しぶりに暑い日でしたが、午後から思い立って明日香へ行ってきました。

稲淵の棚田風景が狙いです。深く切れ込んだ明日香川の激しい瀬音を聞きながら刈り入れを待つばかりの棚田の農道にはいると、おりしも案山子コンテストの応募作品が展示されていて各作品を楽しみながらそぞろ歩きです。コンテストの今年のテーマは「田んぼの生き物」で、カエルやら河童、水の使いの巳さま、雨乞いの巫女、猪を諭す田の神さま、などなどどれも苦心のあとがしのばれて楽しかったです。
おびただしいほど咲いていたとみえ畦のかしこに花殻をつけたままの彼岸花の群落が見られました。9月の中旬頃に来ていればさぞかし見事な光景だったろうと想像されます。また、逆光に映えて稲穂や芒が光り、赤とんぼが群舞しているのも魅力的でした。

帰ろうとすると百舌がキチキチ鳴きながら飛んできて頭上の電線に止まり、長い尻尾を得意そうに上下しています。のどかな風景に接して時間を使いすぎたので、帰りに寄ろうと思っていた「飛鳥資料館」の入場締切時間をすっかり過ぎてしまいました。
日を改めてまた出直しです。