出荷待つ梅

縄巻いて根鉢の梅の芽ぐみけり

立派な梅の木が出荷を待つばかりに立てられている。

造園業の畑の端に、見事なまでに形を整えられた枝垂れ梅たちの、たくましいほど大きい根鉢が縄にしっかりと巻かれ、コンパクトに伸びている枝はそれぞれ芽を膨らませ、一部は咲き始めているものもあるようだ。
土から掘りあげて根鉢が十分育つまで一年はたっぷりとかけたのであろう。
このまま植えられれば、客先の庭には一度に梅の春がやってくるにちがいない。

剥がれ落ちる

梅一片降りて残像としもなく
梅一片散華ともなく降りにけり
見とがめるもの誰あらん梅散華
人知れず梅の散華のありにけり
つとありて梅の一片落ちにけり

桜は「はらはらと」散るという。

人はその散るさまも含めて桜を愛しいと感じている。
対して春の先触れとなる梅はどうか。梅は人の見てないところで散るのである。しかも一片ずつ時間をかけて静かに散る。梅を散るところなどを詠んだ歌や俳句が少ないのもそのためである。言わば気がつけばいつの間にか花が少なくなっていて、あるとき見たら多くが萼だけになっているのに気づき、ああもう梅は終わりだ、と思ってお終いなのである。梅の散るのを惜しむ人はまずいまい。
今年の庭の白梅は、1月下旬から咲き始めて、今日までまだ二分ばかり花を残している。こんなに長い間咲き続けているのは珍しいことである。たまに庭に目をやるとき、さらにまたたまに梅が散るのを見ることがある。同時にいくつも散るのではなく、一片ずつである。散るというよりは剥がれるという感じだ。

菅原の里

白梅の散るをいそがぬ古色かな
盆梅のいずれの鉢の香なるらん
屹然と野梅の盆の孤高かな
天神に落ちずてふ梅ありにけり

まほろば句会は冬に戻ったような天気。

途中、霙交じりの春時雨にあったり、風は料峭とも言える強い西風。
管公出身と伝わる里の吟行である。菅原神社の盆梅展が目当てだが、隣接する喜光寺の丈六仏にもご挨拶。
菅原神社の玉垣には「落ちない梅」という案内があり、実が落ちないという意味らしいが、なにやら受験生にご利益がありそうである。受験シーズンも終盤とあって、すずなりの絵馬の願意は合格祈念だが、合格御礼の札はこれから徐々に増えていくのだろう。

日替り

梅のよく咲いて鳥来る日替りに
日替はりに鳥来る梅の飽かざるよ

今年は庭の梅の花が長い。

今頃になってもこの冬の寒さを上回る冷えが続くせいだろうが、こんなことは今までなかったような気がする。
蕾状態のものも全体の半数ほどあり、この分では二月はおろか三月上旬までは確実に咲き続けるような気がしてきた。
香りも傍に寄らねば分からないほど微かな種類であるけど、それがかえってこの木の奥ゆかしさが感じられて、今まで素人のさんざんな剪定に痛めつけられてきた割りにはよく頑張ってくれたと思う。
おかげで、毎日のようにやって来る鳥を楽しめる。
ここんところはツグミがよく来るようだ。

お詫び
文法ミスで句の部分が表示されていませんでした。最終確認しなかったのが原因でご迷惑をおかけしました。

可愛い狼藉者

梅の花鳥の狼藉なすままに

風もないのに枝垂れ梅の花びらがパラパラと散っては根元に赤い花びらがつもってゆく。

どうやら満開の枝隠れに小さな鳥が来ていて、蜜を吸うのに余念がないようである。目をこらすとどうやらメジロの番らしい。午前中に一回、午後にも一回来てそれぞれかなりの時間花から花へとわたっている。
狼藉者とは言っても可愛い狼藉者である。

くぐる

道覆ふ匂ひの梅をくぐりけり

畑に植えた梅が手入れもされず伸び放題である。

それが道路の上にかぶさるように太い枝をさしかけていて、その下を通ると強い香りがした。

視座

枝ぶりのよき梅さだめカメラ据う
ファインダーの梅のいつかな揺れやまず
梅ヶ枝のあをきに白のふふみけり

難しいものである。

「梅」に真向いた句を作ろうとしたが、どうしても第三のものの力を借りて詠んでしまう癖がついているせいか、安易なほうへ逃げてしまう。カメラ、撮影という視座を借りれば何とか形にはなったが、三番目の句のように梅そのものを詠むのはどうもうまくいかない。
このあたりの表現力がつけば句の幅が広がると分かっていて、実際には高い壁として立ちはだかってくるのだ。