高嶺の花

目黒きて奈良には遠き秋刀魚かな

まだ店頭に並ばぬらしい。

ニュースでは五千匹も目黒に届いたということだが、それも何と冷凍モノとは初めてらしい。
それだけ今年も秋刀魚は不漁だということらしい。
年々小さくなるばかりだが、いよいよ秋刀魚も我ら庶民には高嶺の花となったものだ。
食欲の秋というがその代表の代表であるだけに何とも侘しい限りである。

豊漁

大根をしのぐ秋刀魚の甘味かな

今年は久しぶりに秋刀魚が安いらしい。

暑かった昨日、これまた久しぶりにスーパーにつき合った。
鮮魚コーナーではどちらが言うことなく、即座に秋刀魚を選んだ。
それほど新鮮に見える秋刀魚だったからだ。
刺身にしても食えそうなくらいだが、さすが山国ではそんなフレッシュなものは手に入ることはない。
焼いて食ったが、これまた久しぶりの秋刀魚の腸の甘味。大根おろしの辛味など到底太刀打ちできない、絶妙な甘苦なのである。
今年の秋刀魚は豊漁で安いのはもちろん、ずっと旨い秋刀魚が食えるといいな。

炭加減

腸の焦げて哀しき秋刀魚焼く
銀膚の失せて秋刀魚の焼かれけり
秋刀魚火に旬の脂を惜しみつつ
秋刀魚焦がる旬の脂の尽くるなく
旬の脂噴きてやまざる秋刀魚焼く

庭に火をおこした。

たまには七輪で焼いた秋刀魚を食いたかったからである。
さて、炭火も十分におこり、ころはよしと網にのせたはいいが、あまりの火勢にたちまち秋刀魚が黒煙に包まれ、食べ頃となったときにはもはやあの銀色をした皮や身は溶け落ちて見るも無惨な黒焦げになったうえに、だいじな腸まで落ちてしまった。
火が強すぎたのに加え、秋刀魚の脂がのりすぎていたのだった。脂が炭に落ちて燃え上がるまでになったら、もう火の加減をコントロールするのは至難の業となる。塩二年炭三年ほども熟練の技が必要とされるのだ。
鰯丸干しなどはすぐに焼けるし、皮など少々焦げても文句ないが、どうやら生の秋刀魚だけは、火のピークが過ぎて、火勢が穏やかになってから焼くものだと学んだのである。遠火でゆっくり焼くという方法もあろうが、それでは水分が飛んでしまうような気がするが、はたしてどうだろう。

スーパーマーケット

腸より喰へばこれこそ秋刀魚なり

久しぶりにスーパーにつきあった。

目的は秋刀魚である。当地は塩秋刀魚とかはあるのだが、なかなか生秋刀魚を売ってない。今日はどうしても秋刀魚が食いたいなとなって、折り込みチラシで目当ての店を見つけ出かけてみることにした。
店に入ってみると、最初に目に飛び込んできたのが秋の果物。葡萄ひとつとってみてもいろいろな大きさや色があり、いかにも新鮮そうでどれも食べてみたくなる。しばらくスーパーなどから遠ざかっていたので、このみずみずしく命溢れるものたちにひどく感動した。

さて秋刀魚だが、こいつはまず腸からガブリ、これぞ秋の味である。

旨い寿司や

盆地でも望外のうまさ秋刀魚寿司

引越の荷ほどきがまだ続いている。
初日は引越業者さんからの荷受けに始まって、外構工事打合せ、電話工事やらTVアンテナ工事やらの立ち会いがメイン、2日目の今日は鉢物たちを梱包から解放するなど庭仕事メイン。
さすがコンビニ弁当には食傷気味なので、まだまだ整理しなければならない荷物は多いが旨い物店探しへ。
偶然見つけた寿司店に飛び込んだところ、これが予想外に旨い店だった。
海に接してない県なので実は魚類にはたいして期待してなかったので嬉しい誤算だ。
来客があっても胸を張って案内できそうだ。
クルマで20分ほどかかるのが玉にキズだけど。

颯爽としたプリンス

貴公子のごと背筋一本秋刀魚立つ

秋刀魚が新鮮かどうかは目の具合もそうだが、尻尾を持って立ててみると分かるという。
ピンと一本立ちするのが活きのいいやつ。
網にのせてもあの銀色の魚体がピンと一本に伸びているのはいかにも潔いし、何より塩をふって焼くだけという単純な料理が好ましい。
大根おろし、かぼすとの3点セットは視覚的にも嗅覚的にも秋の序幕に登場する颯爽としたプリンスだともいえるのではないか。
ちなみに、自分はまずはらわたから食うことにしている。