優雅な舞い

風花の降りてたちまちかき消えぬ

今日は珍しく午前中の散歩。

カイツブリの今日は2羽連れ。
ぐっと冷え込んだ朝いつものように彼らの動きを見ていると、八尾・柏原の方角から黒い雲が覆うように迫ってくる。
予報によるとときどき雪らしいが、案の定狐の嫁入りの雨ではなく雪、つまり風花である。
綿のようなふわふわした雪が地面に落ちるとたちまち泡のようになって消えてゆく。
積もる程度でもないので、ゆらゆらと舞うように落ちてくるのをしばらく楽しめた。

寒さも今が佳境。すすんで寒さを甘受しようじゃないか。
さすればまもなく来る春の足音が聞き取れるかもしれない。

今日よりは ひとつ歳あげ 雪見舞ひ

今日はまた 歳を重ねり 雪の花

60代半ばに達したこの日、午後になって30分ばかり辺りが真っ白になるほどの雪が舞った。

雪の末路

風花や決断できずに惑ひ舞ふ

妻が窓の外を指さす。

晴れているのに雪が舞っている。信貴山を超えて飛んできたらしい雪が、風のまにまにあちらへ飛ばされこちらに飛ばされしている。ちゃんと雪として降りたかったのに、道に迷った末に大和盆地にまで飛んできたのだろう。

忖度

風花を美しと称ふる酷さかな

人は風花を美しいものだと言う。

歳時記に季題として採用されているほどだから花鳥諷詠に適うのだろう。
だが、それは太平洋側に住み雪掻きもしなくて済む人間だけにしか通用しないのではないかと思うのだ。

ある意味傲慢とさえ思えて仕方がない。あるいは、苦しむものへの応援歌なのだろうか。

冬本番に

風花のひたに顔打つ風も刺す

この冬初めて風花らしきものが舞った。

「舞う」と言うよりは、横殴りに飛んできたという感じに近い。
冬晴れだが、西から東への雲の動きは速い。

いよいよ本格的な冬の到来と覚悟する一日である。

荒ぶる神も

和魂の舞ふや龍田に風花す

大和川が大阪に抜ける狭隘な部分を風が吹きぬけてくる。

まるで鞴のようだ。地形で言えばちょうど関ヶ原のようなものかもしれない。
龍田に風の神が祀られたというのも、そういうような地理的な要件が関係しているかもしれない。考えてみれば、外つ国からの到来物も龍田を経由して大和に入ってきたわけであり、邪悪なものが入り込まないようにと言う願いもあったはずだ。
龍田の荒ぶる神がお怒りになると、国には災害が頻発し凶作、疫病も流行るわけで、昔から風鎮めの儀式がおこなわれてきたことは万葉の歌にも詠まれている。
だから、日照り雨ならぬ日照り雪が風に乗って飛んでくるというのは、むしろある意味で龍田の神のご機嫌がいいときで、さながら和魂が舞い降りられるようなものかもしれない。
大和川の河川敷に立って、龍田に向かうと信貴山颪にのって三諸の山からさかんに風花が舞いくだってくるのがよく見える。

寒波来

風花や鵞毛袋の開きしごと

気のせいだろうか。

ちらちら舞うのは風花だと思ったのだが。
季節としてはちょっと早いような気もしたが、雪虫ならもっと小さいはずだし、風に煽られてふわふわしていることからも鵞毛のような雪ではなかろうか。
今日から12月。
前半は年に数度しかないクラスの寒波だという。まだ体は初冬のままだし、覚悟だけでも厳冬に耐えるよう備えなければならない。