和裁鏝埋めもし妣の火鉢かな
人形の火鉢かき抱く暮らし展
客去りて燠きの盛りの火鉢かな
大き手と小さき手かざす火鉢かな
今日は思い出編である。
母は昔仕立ての内職をしていた。
少女時代からお針子として勤めていた母の、ひとさまの反物を預かって、洗い張りをしたり、縫ったり、鏝をあてたり、しつけ糸でまつったり、着物の仕立の一部始終を目にしていた。妹たちの正月の晴れ着なども母が縫った。はやりの兎の首巻きをしておさまっている子供の頃の写真はとっくにセピア色だ。
その頃、昭和30年代のはじめまでは暖房と言えば、炭団炬燵に火鉢くらい。
餅が焼けるまで、火鉢に寄せ合うように手をかざしたのも懐かしい。
間もなく母は病みがちになって、針をもつどころか家事までたいへんな時期があって、盥の洗濯など手伝ったこともある。皹やあかぎれに悩んだのもその頃の話だ。
お母様の懐かしい思い出ですね。
不思議と昔の働く母親の姿は今も目に焼き付いています。
手拭いを頬かぶりし、もんぺ姿でこま鼠のように働いていました。
それに比べれば自身の何と怠惰なことよ!!
勉強していると一人用の小さな手あぶり火鉢に炭を入れてくれたのも母。
今も実家には陶器の丸火鉢に灰が入ったまま放置されています。
冬になるとかき餅やお餅を焼いたり手を温めたりいろんな用途に大活躍でしたが今はもう見られませんね。
洗い張り、鏝、盥、皹なんて死語になってしまったようです。
冬の洗濯は辛かった。洗濯板、固形石鹸でごしごし。母が湯を湧かしてくれた。あとは「桃の花」。
今日は暮らし博物館にしかないような物ばかり並びましたね。