賀状も出して一息ついたところで、今年を振り返ってみる。
アルバムの校舎は火事の前のもの *
三輪山に鈴の音冴ゆる登拝かな
閏秒あるかなきかの去年今年
投げ独楽の宙に紐解く視線かな
春ごとの神のまぐはひ囃したて
朱印所の小窓閉ざして春火鉢
一瞥をくれて再び恋の猫
梅切り貼り桜切り貼り春障子
分骨の日取り定まる彼岸かな
初花の車窓となれる赴任かな
春装の小町通りにあふれたる
粉もんの軒を借りたる氷菓売 *
営業職なれば靴まで更衣
開け放つ牛舎突き抜け夏燕
むき出しの牛舎の梁の扇風機
万緑の見渡すかぎり寺領とや
参道の商家廃れて軒忍
酒船石涸るるにまかせ竹落葉
頬杖の手に握らるる扇子かな
百日紅ごと売りに出て二百坪
*のついたものは、結社の雑詠鑑賞でとりあげられた句である。
いつもなら前半後半それぞれ十句としていたが、いろいろ並べてみるとこの前半は比較的好調で、私個人の傾向がわりにはっきりと浮き出ているような気がして、好きなものばかり二十句となった。
なかでも、好きな順番で並べると、
一瞥をくれて再び恋の猫
梅切り貼り桜切り貼り春障子
百日紅ごと売りに出て二百坪
アルバムの校舎は火事の前のもの
初花の車窓となれる赴任かな
深刻に自己を見つめるというのではないが、それでもやはり主観は捨てきれないもので、客観写生に徹しきれない自分がいる。それを肩の力をぬいて軽くというか、さらりと詠めたのはよかったのではないか。花鳥諷詠、客観写生を標榜している結社において若干異端にあると自覚しているが、こうした好きな句がもっと数多く詠めるようになれば、それもまた吾なりと思うのである。