最初の節句

人日の回覧廻す亭主かな

期せずして新年の挨拶を交わすこととなった。

お隣からはいつもなら夫人から回覧板が届けられるのだが、今年の新年第一回はご主人がインターフォンに立たれた。
いつも無口なかただから言葉を交わすことも少ないのだが、今回は新年でもあるのでそれぞれ二言三言の御慶を述べあった。
お隣も職をひいておられるのでおたがい時間はあるのだが、男同士というのはえてして顔を合わせることは少なく図らずもの挨拶である。
昨日七日は人日の節句、というより七草粥の日というほうがポピュラーだが、元日を「鶏の日」として以下「犬」「羊」「猪」「牛」「馬」「人」「穀」と決め、それぞれ該当のものは食べない(殺さない)とされた。したがって、今日八日は穀物を食べてはいけないわけなのであるが、現代人の暮らしからはどれもすっかり姿を消してしまったようである。

「自助」「共助」「公助」

七十二てふ刻の苛む五日かな

72時間が過ぎたのは昨日。

その昨日厳しい寒さのなか高齢の女性が瓦礫から救い出されたのは奇跡に近いと言える。
ただ、水も食料もない被災者、いまなお安否さえ不明の多くの人、災害現場で日夜奮闘している人たちを尻目に、初動体制が出遅れただけでなく、新年賀詞交をはしごしたり、テレビでふんぞり返って憲法改正などをぺらぺらしゃべる国のリーダーには呆れるを通り越して憤りさえ感じる。
被災地にたいして思いをいたさない体質は西日本豪雨のときの赤坂自民亭のそれに重なる。
必ず起きると言われている東南海地震だが、この自公政権に危機管理を期待することは無理のようである。
やはり、「自助」「共助」「公助」を優先順位においている政権だけのことはある。

狼少年

御降のバスの日の丸濡らしけり

さいわい冷たい雨ではなかった。

三が日通して比較的暖かい正月で日和としてはまずまずのスタートとなったが、元日地震につづく二日のJAL機海保機衝突炎上と不吉な年明けとなった。
三日の北九州の火事などもかすむ大災害、大事故のニュースである。
地震の行方不明者はいまだ数十名と言われ、死者数は三桁に及ぶのではないかと心配される。
今回の能登半島のような地理条件の土地は三浦半島はじめ、大きくは紀伊半島、小さいものまで含めると「行き止まり」にある地は無数にある。こうしたエリアは陸上からの支援に障害が多く、海から空からなど多様なアクセスの方策が寝られて当然なのが旧態依然たる対応には凍りつく思いだ。かつてアズナンバーワンと言われた国の落日、劣化を思わざるをえない。
いまだ水も食料も配れず、自衛隊だってたった千から二千名に増員って、政府の危機管理能力、とくに迅速性において大丈夫?
狼少年のごとく国民を不安に陥れるばかりか、役にたつかどうかも怪しいポンコツ武器を高価で爆買いするより、地道に災害支援車両などの充実に使ってもらいたい。
アメリカの糸にいつまで操られなければならないのか。日の丸が泣いている。

なみなみと

明日帰る子らに足し湯の初湯かな

普段の湯量の倍ほどを沸かした。

二人しか入らない風呂にいまどきなみなみと湯を沸かすのも気が引けて、普段は最低漬かればいいというレベルしか張らない。
お湯を気にしないでじっくり浸かってほしいと思う親心であるが、どこまで通じたかはもちろん知らない。

日常

あひたがひ葱引きにきて御慶述ぶ

能登の地震をおいといて、身の回りはまずは平穏な正月。

犬連れの長女一家が朝早くに発って、猫どももいくらか平穏を取り戻したようである。
今日は昨日帰省した下の子とすき焼きをしようとなったが、全部長女に持たせたので葱がない。ということで畑へ向かったら、やはり同じように葱を引きにきている仲間と鉢合わせ。
たちまち日常に戻ろうとする正月となった。

断層の上の国

元日の全戸に停まる郵便車

朝一番に年賀状を配達しているところに出くわした。

観察していると、見事に全戸に停めては郵便受けに放り込んでいる。年賀状を出す人はひところに比べてずいぶん減ったと聞くが、それでも数はともかく全戸に配られていくのにはえも言えない感動がある。全戸配達など元日しかないわけで、今日は思わぬ光景を目撃したことになる。
お屠蘇をくみ、お節に舌鼓を打ち、しみじみと年賀状を裏表眺め回すように過ぎてゆく至福の時間。
そんなお屠蘇気分を吹き飛ばすように、能登沖を震源とする大きな地震の報に凍りついた。震度7のところもあるところから時間が進めば被害がさらに明らかになってこようが、その中心に原発があると聞くと大きな不安が頭をかすめ、やはり地震の国日本には原発は不似合いなのだとつくづく思う。今からでも遅くないから再生エネルギーを中心とした技術開発に、投資に資源を向けるべきであろう。
ただ今の自公政権がつづくかぎりは絶望的で、原発のみならずすべての政策が手詰まりになっている状況の打破は容易ではないのが残念である。小沢の言葉を借りれば刮目せよ、と。

小正月

恵方より火をさしいれて大とんど

小正月15日は各地で左義長が行われる。

いわゆるどんど焼き行事であるが、その年の正月飾り、古い御札やお守りなどを燃やし一年間守ってくれたものへの感謝と、その火で焼いたお餅などを食べたり、灰を持ち帰ったりして無病息災や五穀豊穣を祈願する祭である。地域や主催団体によって名称、燃やすもの、行事の内容などは変化するが、おおまかに言えばそういうことであろう。
書き初めの書を燃やしてとんどの火で高く燃え上がれば書が上達するとも言い、別名を吉書揚とも言う。
子供たちにとっては青竹に餅を挿してどんどの火で焼いたりして楽しい行事でもある。