朱鞠なる下葉のかげの草いちご
山道は草花を見るのだけが楽しみではない。
口に含んでみて、その味や香りを楽しむのもまた一興であろう。
この草苺は誰でも見つけることができるほど直径1センチほどの大きさがあり、しかも真ん丸で赤いときているからよく目立つのだ。
明日朝から急遽横浜に用事ができ、今夜の夜行バスで駆けつけることになった。約9時間の旅。帰りは月曜の予定で、今日、明日と二日分の予約投稿。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
目も鼻も縞もそのまま蛇の衣
それはシマヘビの脱皮した後の皮だった。
歩く会のエコロジストでもある講師が、ポリ袋に空気を入れ膨らませたものに蛇の皮を大事そうにしまい込んだ。子供たち相手の自然観察会で見せてやるんだという。
たしかに、町の子にとっては蛇の皮など見る機会は滅多にないだろうし、生き物の「脱皮」という生態を知るいい教材になるだろう。
我々の世代なら、かつて、財布に入れておけばお金が増えるとか言ってしまい込んだ経験のある人が多いかもしれない。
だが、全身が完全に残った蛇殻を見るのは久しぶりだった。
砂防ダム埋もれて永し花茨さぼうだむうもれてひさしはなうばら
急斜面の道が突然開け大きな広場が姿を現した。
過疎が進んで行政も手をかけられなくなったのだろうか、かつて土砂災害防止のために設けられた砂防ダムが今ではほとんど土砂に埋まってしまっている。大きな木が生え、草花も生い茂り、ときまさに野ばらの花の盛りであった。
土砂に潜っていた細い水が堰のところで再び顔を出してちょろちょろと流れているのだった。
おびただし実生の椎の若葉かな
多武峰の山中は植生が豊かである。
下った道はまるで腐葉土そのものと言ってもいいほどで、柔らかでフカフカであった。
そんな環境条件に恵まれたせいか、落ちた実があちこちに発芽して柔らかげな若葉の色を発している。これらの苗はこれから厳しい生存競争にさらされ、多くが場所取り競争に敗れて大木までには成長できないだろうが、どの苗も少なくとも数年は生き永らえるんじゃないかとさえ思える豊かな土壌である。
椎のほかにも新しい苗がいっぱい顔を出し、珍しいものがあると案内役のスタッフの方から適宜説明があるが、とても覚えていられないほどの種類の多さである。なかでも、「室生天南星(テンナンショウ)」「花筏」「葉蘭の花」「水引」などが強く印象に残った。
隠れ沢めく谷筋の河鹿かな
杣の道を慰めてくれるものがいる。
藪に覆われていたりして水はよく見えないし、はっきりとした沢の音も聞こえてこないが、河鹿の鳴き交わしのようなとよめきが心地良い。
やがて、下るにつれて沢は川幅を増しそれと分かる姿を見せてくれるのだったが、なぜかその頃には河鹿の声は聞かれないのだった。
勧進縄わたす欅の若葉せる
桜井駅から一気に談山神社までバスで登り、多武峰から安倍文殊院まで降りてくるコース。
それも普通の人はあまり利用しないような、むしろ杣道と言っていいくらいワイルドな道を降りるコースで、足元ばかり見るようではあるが、ところどころガイド役の方の説明もあって多少救われる下り道である。
そこは植生も豊かで、とても覚えられそうもないほどの草花や樹木がある。里の春の花は終わったが、どうしてどうして山にはまだ花がいっぱい。
卯の花をたどり勧進縄の村
数多くの古墳群があるという高家(たいえ)地区を過ぎ、卯の花、定家葛に導かれるようにして辿り着いた集落の入り口には勧進縄が渡されていた。その一方を支えるのが大きな欅の木で、折しもの若葉が明るい陽を照り返している。
勧進縄というのは一般的に雄縄、雌縄の一対があるのでもう一つあるはずだと探してみたが、とうとう見つからずじまいで集落を抜けてしまったのが心残りとなった。ということは、邪気の入り込むのはあの卯の花の道からだというのだろうか。
締めくくりは、幕末から明治中頃にかけて膨大な日記を残した高瀬道常という人の古文書と、それを原稿用紙2,400枚に転記して世に知らしめた研究者の講釈を聞くことができた。日記とはいっても、個人的日記ではなく世界情勢を含めた広い学識に裏付けられた貴重な「当時の世相についての記録」であるのが特徴だ。当時物価が高騰したり、木綿などの価格が輸入品に太刀打ちできなったりして不景気になったのは、外国に門戸を開放した幕府のせいで、桜田門外の変すら溜飲をさげる数え歌に織り込まれていたこと、また逆に異人打ち払いの長州がいかに期待されていたのかという庶民の側から見た記述などとても興味深いものだった。
このように知的好奇心も満たされ、かなりきつい行程もいくらか緩和されるのであったが、後半に相当きていた足の明日は、はたしていかなるものだろうか。いささか気になる日曜夜である。
にちようび男総出の溝浚ひ
イメージがあったのだがなかなかものにできなかったのが、今日一ヶ月ぶりにふっと句にすることができた。
先々月「鎮守の森を観にいこうかい」で桜井市に行ったときのこと、男たちが手に手に鍬や竹箒などを持ってそれぞれ家路についている光景をある集落で目撃した。どうやらその日は集落の申し合わせで一斉のいわゆる「どぶさらい」の日で、共同作業が果てたあとの様子を目にしたのだった。蓋をされてないままの、集落の側溝の脇には泥がうずたかく盛られているのを見て合点したのだった。