樹形

降りさうな風の来てゐる若楓

おざなりの鉢の楓の若葉がまぶしい。

住宅メーカーにもらった苗から育てて十年ほど。地植えのものの種が芽生えたので鉢で育てたものだ。親の樹はあまり背が高くならぬよう毎年切り下げてきたが、それでもいつの間にか見上げるほどの高さに成長してきて、素人なりに悪くない樹形である。
両者とも今は滴るような若葉がしっかりひろげてきて、少しの風にもゆれて目を和ませてくれる。
午後に雨となって、またいちだんと瑞々しさが加わったようだ。

品種改良

夏蜜柑ときに妥協の甘さかな

最近の柑橘類は甘い。

とくに感じるのが、八朔、夏蜜柑の類いである。
両者とも酸っぱさからは免れなかったのが特徴で、子供の頃はあまり好きではなくそれが大人になっても手を出しそびれる要因にもなっていた。
ところが、ここ何年か知人の手になる八朔、夏蜜柑をいただいて、それまでの固定観念ががらりと打ち破られたのである。
上品な酸っぱさは残したままでいて、甘くてうまさがあり食べやすい。
とくに夏蜜柑などはただ酸っぱさが舌を刺激していたのが嘘のように、まるまる一個をぺろりといただけるほどうまい。これは、きっと海外のオレンジや国内のさまざまな甘い柑橘に負けまいと、関係者が長年品種改良に取り組んできた成果ではないかと思うのだがどうだろうか。夏蜜柑は酸っぱいものだと突っ張ってばかりいては生き残れないと、自ら折れたのかもしれない。
午後のデザートに、ソフトボールほどの大きさの夏蜜柑を一個ずついただく毎日である。

入職

制服の板につきもし花は葉に

この春入職したと思われる若者が朝夕通る。

通勤はブレザー、髪は短くあるいは長いのは束ねると決まっているらしく、清潔感が見る目にもここちいい。
住宅地の先には大きな介護付き病院があって、おそらくそこの職員だと思われる。
職員の数も多くて毎年何人もの新人が入職するだろうから、この季節は決まった時刻にフレッシュな顔ぶれが通るのはいいものである。

たじろぐ

青深み梳かねばならず梅若葉

夏日が続く。

桜に浮かれていたのは数日前のこと。
庭の木に弾みがついて梅も柿も若葉の候である。もはや春の季語などのんびりと詠んでる場合ではなさそうである。
とりわけ早梅の枝などは茂り出してきて、早く剪定してやらねば梅雨時には蒸れて虫が湧きそうである。
それにしても急な暑さに日中の外での作業にはたたじろんでしまう。

ヒートテック

軽暖の日陰に逃げて小事なす

「軽暖」。これより数日夏の季語の日が続くようである。

日向での作業は耐えがたく、ものの影によってようやく用が足せるような日であった。それでもものによっては日向でせねばならないこともあるのがきついことである。
終わってみれば、体力が落ちているとみえてめっきり体が重い。
考えてみればまだ冬服に近いものを着ているのも一因なのだが、朝方はまだまだひんやりしているので自然そうなってしまう。
明日はさすがにユニクロヒートテックは止めた方がよさそうだ。

思い出づくり

雨の日の記憶ばかりの春休み

雨の日がつづく。

しかも雨の日にかぎって寒く、春はいったいどこへ行ったのか。
卒業して新たなステップに弾みをつけたい人たち、進級して一年上級生になる人たちにとっては、短い春休みにどうやって過ごそうかとわくわくしていたろうが、出鼻をくじかれることになったはずである。
それはわれら高齢者とて同じこと。彼岸も過ぎて暖かくなったらやらねばならぬこと、やりたいことはいっぱいある。
今年卒業した大学生などはコロナ禍で入学以来しばらく校舎での授業も受けられれず、新しい友に出遭うこともなかっただけに最後の思い出づくりに影を落とさないことを願う。

困りもの

ナイターのハマには雨も来ないらし

雨に降られてずぶ濡れになった。

この前線が抜ければ秋の空気と聞いていたので、今日も雨とは何ともじれったいことか。
今日の夜辺りは関東に雨と聞いていたのに、テレビではナイター中継をやっている。いくら優秀なスーパーコンピューターでもなかなか予想は当たらないようである。
この夏ほとんど雨に恵まれなかった分を取り戻そうとするかのようによく降る。帳尻を会わせてくれるのもいいが、来るべき秋が来ないのも困りものである。

補)投稿して暫くしたら球場に雨が降り始めたようです。