ホース

干天の慈雨呼ぶ雷となりにけり

どうも秋の季語がしっくりこない。

毎夕になると散水すべきかどうか空模様を眺めるのだが、今日も雨雲は頭上を避けてゆく。
金剛山地と生駒山地のあいだの縊れは雨の通り道だが、わが家の上は信貴山が通せんぼするのか素通りが多いのである。
今も南は真っ暗で遠雷がしきりに聞こえてくるが、近づく気配はない。
こうして蚊に食われながらホースを引き出しているのである。

昭和は遠くなりにけり

遊園地閉じてひとつの夏終る

昭和のひとつの終わりであろう。

豊島園が閉じ、大手百貨店そごうの発祥地関西からの撤退。
東京に住んだ人なら一度は行ったにちがいない豊島園は、各地に出来たテーマパークに圧される形で客足は衰退して行くばっかりだった。なかには親子何代にもわたって記憶がひとつになる懐かしい場所でもあろう。
かくいう筆者も結婚前に家人と行ったことのある思い出深い公園である。
ニュースでは地域に150年間も根を下ろしたデパートがこの夏廃業するという。これも郊外のショッピングセンター、最近ではネットショッピングに圧されて細るばかりである。
おりしもアフターコロナの暮らしがいったいどうなるのかいろいろ模索する動きがあるが、こうした業態の変化も避けられないことだろう。今から10年もすれば今とは全く違った暮らしというものがあるにちがいない。

老い

天瓜粉たたく二の腕やつれけり

汗疹に弱いというか、肌が敏感なのか、汗をかくとかぶれやすい。

とくに半袖Tシャツで過ごしていると腕の部分に現れることが多い。
そこで日中でも汗でべたつけば水道で流したり、風呂上がりには必ず天瓜粉をたたくのである。
黒いシャツなど着ているとすぐに目立つわけだが、誰に会うと言うこともないので大胆にたたく。
鏡を見ながらたたくのであるが、二の腕辺りは筋肉も落ちてさすがに齢をかくせない。
これも老いであろう。

地軸

三十度目途に冷房つける日々

微妙に日が短くなっているのを感じる。

夕方も6時になると室内がやや暗くなってきて、思えば夏至から冬至への三分の一を過ぎたのだなという感を強くするのだ。
地球軸の傾きはこのように着実に太陽に向ける角度を変えているのであるが、北半球の暖まった空気はなかなか下がらないようである。
毎日温度計、湿度計を眺めては30度を超え、31度にもなろうかという時点で即冷房スウィッチオンである。
秋の季題を実感をもって詠める日はいつになるのだろうか。

よその国

空耳に雨の音聞く夜の秋

一雨ほしい。

庭の雑草でさえ水を欲しげに萎れている。
せめて夜を涼しくと玄関周りの草木にたっぷり水をふりかけてやると、一気に体感温度が下がる。
乾いてしまえばまた元の暑い風に戻るのであるが、たとえ水道代が上がろうとも止められない。
あと一週間辛抱だそうだ。そうなると平年並みと言うがそれでも33、4度もある。
なんか昔の尺度とは全く違ってるみたいで、よその国にでも来ているような。

意を決して

盆の花求めに走る宵のうち

明日は墓参りに行こうと思う。

ただ、その明日はいちだんと暑い日になる見込みだという。
ただ、そんなことを言ってると何時お墓に行けるか分からない昨今である。
腹をくくってというか、意を決して行かねばならぬ世とはなりにけり。

負けないで

ひりひりと病葉雨のほしげなる

また38度を記録したとか。

根の浅い草木はすぐにくたびれて生気を失っている。
夕方になって水を葉っぱにまでまんべんなく撒いて周りの空気を冷やすとそこだけ少し人心地がつく。
外猫のみぃーちゃんも涼しいところはよく知っているとみえて、やってきてはどてっと寝そべっている。
まだまだ極暑は続く。負けないで、みぃーちゃん。