すくっても掬っても

凩の天下御免の大路かな

信号待ちをしていると突風が吹いて落葉がからから鳴りながら横断歩道を飛んでゆく。

奈良公園一帯には高い木が多く、頭上高くから長い軌道をひいて落葉が降ってくる。
これが道路を越えて向かいの敷地にまで達したり、達しなくても塀際に落葉溜まりをつくる。毎日毎日落葉を掻く日課はさぞ大変だと思うが、広大な敷地を持て余した屋敷だけは落ち葉の嵩をまして側溝はもちろん道路までも覆っている。
園丁さんは落葉をこまめにすくっては袋に入れ、風の仕業に手を焼いているようだ。

変わらぬ流れ

飛鳥川七瀬の淀の水澄める
飛石を洗ふ水澄む飛鳥川

今日は35度近い日を飛鳥吟行。

10月とは思えぬ暑さに石舞台に向かったものの、涼を求めて飛鳥川沿いを歩く。
玉藻橋を渡ろうとしたときのことだ。橋の下を猛スピードでくぐり抜ける鳥がいる。水面すれすれに飛ぶところを見るとあれは間違いなくカワセミだ。しばらく姿を探すが、あっという間の出来事で見失ってしまった。
あきらめて足もとの川をのぞくとちょうどそこは飛鳥川本流に支流が合流するポイントで、瀬音が涼やかで気持ちいい。祝戸方面へさかのぼり、稲淵宮跡へたどりついたところで引き返すことにした。

「七瀬の淀」というのは万葉集巻7ー1366の、
明日香川七瀬の淀に住む鳥も心あれこそ波立てざらめ
を拝借したものだが、大友旅人の巻5-860にも、
松浦川七瀬の淀は淀むとも我れは淀まず君をし待たむ
見られ、「瀬があまたあって淀んでいるところ」という意味だろうか。
落差の大きい飛鳥の谷を大きな石をかいくぐるように水が落ちてゆくわけだが、祝戸あたりからややゆるい流れに変わりあちこちに淀みを作っているあたりは、昔とたいして変わらない光景なのだと思えた。

濡れ羽色

ビスケットこぼす高枝梅雨鴉

春日大社の外国人観光客のおびただしいこと。

その観光客の残りものを狙う鴉もまた集まってくる。
めざとく見つけたビスケットは梅雨湿りでもしていたのであろう。
ぼろぼろと崩れるのを咥え高い枝に移る。
雨の春日の森の暗いなかでたくましく生きる鴉の黒は、まさに濡れ羽色で美しいものだった。

もじゃもじゃ

対岸のひとつばたごのもやもやと

どういうわけか、香りがない。

ナンジャモンジャというのは強烈に甘い匂いを発するはずなのだが、今日見たのは鼻にかざしてもまったく匂いがしなかった。
それとも散りはじめるともう匂いはなくなるのか。
名前の通り、遠くから見ると木全体がもじゃもじゃしているように見えて、大陸から渡ってきたような趣のある木だ。

レプリカ

荘厳の古りにしよけれ古都の春

興福寺の新中金堂をながめてつくづく思った。

古都・奈良のよさはその「古びよう」にあるのではないかと。
ぴかぴかの黄金もいいが、まぶしすぎてどこか成金趣味を覚えてしまうのだ。そこへいくと、やはりくすんだ金色のほうが心が和む。唐招提寺金堂の三尊像、薬師寺東院堂の聖観音像、などなど。
ニュースによると、修復中の薬師寺東塔の水煙が新しく作り替えられるという。あの凍れる音楽の象徴とも言える水煙が、新しくお目もじかなったときには、もはやレプリカにすぎないものとなる侘びしさ。もう風雪に耐えないのなら止むをえないとは思うが、どこか残念という思いは拭いきれない。せめて、塔とバランスのとれた渋い水煙が起ち上がることを望むものである。

「新年」という季題は非常に便利な、といったら語弊があるが、季語としてはたいへん幅広いものを包含する季語である。
傍題には本意である「年の始」をはじめ、「年改まる」「年頭」「初年」「年立つ」「年迎」「年明く」のほか、陰暦では「春」と同時期にくるので「初春」「明の春」「今朝の春」などがある。これを応用して「〜の春」となると無限に使い回すことも可能である。下手に使うと安直に流れて失敗もするが、掲句ではどうだろうか。
これは年賀状にでも使えそうな句なので来年用に取り置くかとも思ったが、それまで生きてる保証もないのでさっさと公開します。

五十歩百歩

涸れさうで涸れぬ懸樋の水細し

初句会は東大寺、春日大社周辺。

興福寺の新中金堂はいかにもピカピカで誰もが詠むだろうかと、あえてひとり逆のコースをたどった。
まずは東大寺へ向かう途中で吉城園に入ると、ここには句材がいっぱいで句帖にはたちまち十句をあまるものを得られた。五句出句の句会なので、これ以上場所を変えなくてもよさそうにも思えるほどだ。
吉城園は茅葺きの茶室が有名で、茶庭、つくばい、四阿、それぞれに句材がある。
ただ、出句にするのを選ぶのに迷うのはどれも五十歩百歩、帯に短し襷に長しのようなものばかりなのには参ったが。

五年の月日

堂廂翳る格子のいぼむしり

半分ほど枯れている。

「蟷螂枯る」は初冬の季語。もっとも、蟷螂には最初から枯れ色している種類もあって、冬になったからと言って変色するわけではないが、ものみなすがれる中に生き残っていると目立ちやすくもなって、そのあわれを言う季語である。
秋篠寺の本堂は奈良時代のものとあって、屋根を含めて堂々としたたたずまいで南面している。おおきな廂が影を作るものの、やはり秋である。昼前後の日差しは堂壁の下三分の一ほどにさし込むようになった。日の当たる部分の壁、柱は秋の日差しにほんのり温かい。
秋篠寺の技芸天を詠んだ稲畑汀子の名句、

一枚の障子明りに技芸天

があるが、その汀子の句を天下たらしめた障子戸の格子に蟷螂が動かないでいるのだった。

秋篠寺は5年前結社に入会して初めての吟行にして、初の句会体験をした思い出深い場所だ。
悲しいかな、5年程度ではめだった句力の向上も感じられず、すごすごと元来た道を戻るしかなかったのであるが。