待ったなし

苗床の八十八夜踏み場なく

一日が八十八夜。

農事暦で言うと、遅霜もなくなってものの種蒔く季節到来。
育ててきた夏野菜の苗も天候に恵まれて今年は順調な仕上がり、というよりも早く植えてくれろと言うばかりに生命力があふれている。体調がなんとなくすぐれず体が重いので、この暑さに畑の長時間作業がうっとうしく感じられてなかなか思うように進まない。
あした、あしたと思っている内に明後日はもう立夏。待ったなしである。

便箋

母の手痕の癖思ひ出す春の闇

遠い昔の話しになった。

たまにくる母の手紙は旧仮名遣い。いつも必要なことしか書かない。便箋一枚フルに使われたことはないほど短い。それでも白紙の便箋がかならず一枚ついていた。添え紙は返信のためにとか、本当はもっと書きたいという気持ちを表す意味とか、内容が透けないようにとかの意味があるそうだが、昔の人はみなそうしていたものだ。
そんな古い話を思い出しながら、夜の時が流れてゆく。

微笑ましく

すかんぽを吸へば連れまた手にとりぬ

真夏日とも言われる今日。

夕方になってぞろぞろ散歩に出る人を多く見かけた。
具合いいことに風も出てきてぐんと涼しく感じるようになったのはさいわいだった。
散歩を楽しんでおられた老夫婦が田の周りでなにやら楽しそうにしている。近づくとどうやらスカンポを吸うているらしい。昔を懐かしむかのように語らう姿は微笑ましいものだ。

お勤め

猫に餌やらねばならぬ朝寝かな

二度寝ほど気持ちいいものはない。

ところが、いくら自由の身とは言え時間にしまりがなくては懈怠の精神が肉体に宿ってもう後戻りできないほど自堕落な人生に落ちそうである。
辛うじてそれを救ってくれるのがペットの存在だ。五匹の猫の食は飼い主に完全に依存している。五つの命の命運を握る責任者としてはもっと寝ていたいと思うところをぐっとこらえてベッドを出る。
出ればいつものルーチンがスタートする。どれひとつとしてかけることのないお勤めである。

夢中

夕映えのげんげ畑の立ち話

一面が紫の田が目を引いた。

いつもなら素通りするところ、遠回りして近づいてみる。
近所の主婦と見える三人組は見飽きたであろう蓮華草には見向きもせず、暗くなろうとしている時間をなお井戸端会議中の様子。
バイクを停めて見入っている人間もまったく目に入らないらしい。

油断

水筒を忘れし鍬に春行けり

雨から一日おいて土にさわった。

作業が遅れ気味で焦りがあったか、天気がよかったのにうっかり水をもっていかなかった。
案の定少し動いただけで喉の渇きを覚える。
もう少し暑い日なら下手すると熱中症になりかねない。
くわばら、くわばら。

坂の多い街

住み登る邸宅多き山朧

生駒山の裾から中腹にかけてかなりの規模で住宅街が広がる。

ケーブルカーが通勤通学の足となっているが、それでも不便ではないのだろうかといつも不思議に思う。
大阪側には奈良側ほど高くまで住んでないようだが、生駒の街につづく近鉄奈良線(帝塚山)学園前駅周辺も坂道の多い街。どれも立派な家が建ち並び、いかにもの高級住宅地である。
大阪あたりに仕事場をもつ人たちの住宅街と思われる。
芦屋なども同様にもとは船場の豪商などが住み始めた高級住宅地で坂もまた多い。
田園調布もまた然り。
所得の高い人はなぜか坂の街に住みたがるものらしい。
拙宅も坂の街だが、ここは平地に土地になくなって止むを得ず山裾を開発してできたもの。同じ坂の街でも生駒には到底かなわない。

雨のあとのせいだろうか、空気が重い。
灯の点りはじめた生駒山住宅地もベールをかけたようにおぼろである。