やりきれない

春荒や砂噛むやうに腰うづく

起こしても起こしても倒される。

今日はそんな強い風に翻弄される一日であった。加えて時折雨が激しく叩きつけてきて、最後はもう倒れたものを起こすのは止めてしまった。
これからは、風雨災害のシーズン、コロナ騒ぎに加えて百年に一度の災害が加わったら果たしてこの国はどこまで耐えられるのであろうか。加えて、非常時に国民の命を守れない政治によって命を落とすのではやりきれない。

末黒野遠望

節分の靄にそばだつ大鳥居
節分の若草山の靄がくれ

今日は節分。

盆地は朝から遠霞がかって、あるいは黄砂かと思うほど濃いものがある。節分はおろか立春すらすぎた気がする。
靄のせいで金剛山や葛城山、二上山など周囲の山は立体感を失って単なる平板なシルエットしか見えてくれない。
山焼きが終わって下半分が末黒野となっている若草山は、午前中こそ薄ぼんやりとみえたのが夕方には靄の奥に隠れてしまった。
通りかかったすぐそばの三輪山の大鳥居は、靄に包まれているとはいえいつもの黒々とした威厳をかろうじて保っているようだった。

ノンアルコール

三寒の夜半の半月そぞろ醉

今日あたりで三寒か。

ということは明日あたりから四温となるか。
夕方見事な半月が中天に昇った。
最近は多くは飲めなくなって、缶麦酒ひとつあけたらそのあとはノンアルコール缶でお茶を濁したりして。
薬喰のほろ酔いの足もとを月が照らしてくれる。

駆除

おずおずと前歯で検し薬喰

寒餅搗きを兼ねた新年会。

見事な鹿肉の差し入れがあって、これが癖もなく意外にうまかったのだ。
肉は赤身がかって、存命なりしは山野を走り回っていた若い肉体をしのばせる。
猪肉や鹿肉などいわゆるジビエ料理が人気だが、今ひとつ好きになれないまま敬遠していた自分がいる。
ただ今日は、せっかく持参してきてくれた好意をおもんぱかって一口前歯で様子を見させたら、これが意外にいけるのであとは奥歯の出番とばかり、相当な量をいただいた。
ところで、奈良公園は柵がないので、保護すべき天然記念物の神鹿と野生の鹿をどう区別するのやら分からないが、最近作物被害がひどいと言うこともあって周辺の野山で駆除されているものがある。
県自体がジビエ料理を推進していることもあって、猪や鹿などちっとも珍しくなくなりつつあるが、そうなると希少性が薄れたジビエ人気というものがやがて褪せていきはしないか。そんなことも頭をかすめるこのごろである。

はやし咲く

天神に南高梅の冬咲ける

大阪天満宮の紅梅のなかには早くもピークを過ぎようとしているものがあった。

枝垂れ梅もすでに開き始めており、春を待たずに梅の季節。冬の梅といえば寒い中にもふるえながら咲かせているものを言うのだが、何しろこの暖かさである。
天神さんの裏門の脇に植栽されている南高梅の献梅も、繁昌亭の賑わいに刺激されるようにして咲き始めている。
寄席の太鼓が「早よ咲け、早よ咲け」とでも囃しているかのように。

ワンデートリップ

山膚の総毛立つ見え春近し

周囲の山がもやもやとしてきた。

まるで枯れ木という枯れ木の枝が総毛立つように、明らかに冬の様相とは異なる動きをみせている。
春の始動が目に見えてはっきりとしてきたということだ。
生駒の山腹に雲が落とす雲の形もくっきりとして、その影もゆったり流れてゆく。日の当たるところと影の部分のコントラストは冬の弱々しいものではない。
車窓から流れる景色を楽しみながら、短いワンデートリップに身を置くことができた。

寒の加工食品

寒餅を搗く音もるる集会所

シニアだけの餅搗き大会に誘われた。

これで地域コミュニティの一員として認められたことになるのかもしれない。
新しい団地だからシニアのいる世帯割合は10%にもおよばず、数少ないシニアも行事などを通じて見知った顔ばかり。
寒がもうすぐ明けるという節分の前の日になるし、なにしろ暖冬だからおかきなど加工食品にしたりして寒餅としての保ちの良さは期待できないかもしれないが、それでも豆を入れたりした寒餅をいただくというのは久しぶりのことなので今から楽しみにしている。