目に見える悲鳴

池涸るや土に還れぬもの鈍き

梅雨時に放水されたまま水量が増えぬ池。

底が顕わになって、さまざまな無機物が無様な姿を晒している。
空き缶や空き瓶などには驚かないが、さすがにスコップとなると首をかしげてしまう。池の修理のときにでも置き忘れられたものだろうか。
いずれも、鈍い色の光りを返している。
大和川は先月の台風の影響で、わんさとポリ袋にからまれた葦がこれまた無惨である。雨と同様、盆地中のポリ袋というポリ袋のゴミがここ大和川に寄せられているのだ。それにしてもプラごみが多すぎる。自然環境が悲鳴を上げている。

“目に見える悲鳴” への2件の返信

  1. 海や河川、池など水のある所はまるでボミ捨て場のような惨状である。
    それと同様堤防の斜面にも信じられないものが捨てられている。

    昔と違うのはやはりポリ、プラごみでしょうか、こればかりは土に還らないので人間の自覚以外にはないですね。
    自分の首を絞めるような行為は慎みたいものです。

    1. 明治以前は見事な資源循環型社会だったのが、石炭を経て石油主体になってから環境破壊が進みました。原子力に至ってはもう人間には管理不可能な存在です。存在自体が悪です。

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