言の葉

読初や青畝句集を舌頭に

読み初めとは本来経書を音読したことを言うらしい。

読書とは今では黙読が当たり前の時代だが、声を出して読んでいたのはいつ頃までだったろうか。おそらく高校の古典、漢文の授業以来たえてないのではないか。
とくに、教科書に出てくる古典中の古典のそれぞれは調べも美しく、音読しても気持ちいいものがある。とりわけ好きなのが、伊勢物語で、冒頭の「むかし男ありけり」でたちまち物語の世界にさそわれるのが心地いい。好きな段は第九段東下りで、とくに「すみだ河」の「これなむ都鳥」のくだりは一気に畳み込むように都落ち一行の境遇を浮かび上がらせる。
最後の「舟こぞりて泣きにけり」にいたるや、もうこれは謡の世界として溶け込むようである。
「物語」とは「物語る」ことであり、古典とは長い時間ひとの舌に乗ってさらに磨かれてきた文学なのであろう。

ことしもまた阿波野青畝句集の文庫本をかたわらに、自在な言葉の魔術の世界に酔っている。

“言の葉” への2件の返信

  1. 東北大学の川島隆太先生によれば声に出して読むことは脳の活性化に良いそうです。
    以前先生監修の日めくりカレンダーで文学作品を毎朝声に出して読んでいたことがあります。

    カルチャー教室ではくずし字(変体仮名)の和歌や文章をそれこそ小学生のように一字一句つっかえつっかえ読んでいます。
    これをサラサラ読めるようになれば鬼に金棒です。

    「むかし男ありけり」で始まる伊勢物語、私も好きです。
    何より一段一段の短い文章の調べがとっつきやすい。
    私も好きな段は第九段の東下りです。
    それと六十九~七十一段の狩りの使いですね。

    言葉を磨き発想力を飛ばし今年も実りある一年になりますように。
    昨日のプレバトはとても面白かったです。
    あの番組は素人にもよくわかりとても勉強になります。

    1. そうですね、伊勢物語の特徴のひとつがシンプルな文体ですね。覚えやすい。そのうえ、すばらしい歌が散りばまれているから印象がより深くなります。

      「狩の使い」はスリリングでいてどこかじれったい話。昵懇の惟喬親王の妹だからためらいもあったのでしょうか。

      プレバト優勝の子はよくがんばりました。よくよく勉強したと思います。中田喜子は伝統俳句調で地味ですが奇をてらわないのがいい。横尾と村上は無理に作ろうとする。フジモンは頭が柔軟でそれを言葉にすることができる。短期間であそこまでいけるのだからたいしたものです。指導者と本人の努力、両輪あっての話ですね。

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