言の葉

読初や青畝句集を舌頭に

読み初めとは本来経書を音読したことを言うらしい。

読書とは今では黙読が当たり前の時代だが、声を出して読んでいたのはいつ頃までだったろうか。おそらく高校の古典、漢文の授業以来たえてないのではないか。
とくに、教科書に出てくる古典中の古典のそれぞれは調べも美しく、音読しても気持ちいいものがある。とりわけ好きなのが、伊勢物語で、冒頭の「むかし男ありけり」でたちまち物語の世界にさそわれるのが心地いい。好きな段は第九段東下りで、とくに「すみだ河」の「これなむ都鳥」のくだりは一気に畳み込むように都落ち一行の境遇を浮かび上がらせる。
最後の「舟こぞりて泣きにけり」にいたるや、もうこれは謡の世界として溶け込むようである。
「物語」とは「物語る」ことであり、古典とは長い時間ひとの舌に乗ってさらに磨かれてきた文学なのであろう。

ことしもまた阿波野青畝句集の文庫本をかたわらに、自在な言葉の魔術の世界に酔っている。