一区切り

立錐の余地なくあふれ燕の子
おしくらにこぼれんばかり燕の子

親が作った巣が小さく見えて、子供たちがこぼれそうである。

親が餌を運んでくるたび、いっせいに騒ぐものだからはらはらしてみているが、もちろん簡単にはこぼれない。
ただ、ときどき下に落ちる子もいるようだから、さもありなんとも思う。
巣立ちが近いと見えて相当大きくなっている。顎の下から胸にかけてのえんじ色がはっきり見えるほど餌をねだる姿は生きるのに精一杯の仕草である。
これがちょっと気づかないうちに巣立ちしてしまうと、いちまつの寂しさを感じつつ今年の燕のシーズンにひと区切りついたという思いにひたるのである。

“一区切り” への3件の返信

  1. 今年はとうとう燕の姿を見ることなく終わってしまいました。
    毎年巣をつくる家の軒先も空っぽで寂しい限りでした。
    それにしても三つも巣があるのに一羽も来ないなんて一体どうしたことなんでしょうね。

    1. 当地でも極端に少ないです。
      代わりに見慣れない鳥が居座ったりして、これも気候変動の影響がでているのかもしれません。
      今朝は久しぶりに雲雀の声を聞きました。燕が高いところを飛んでいたわりに雨が降ってきたりして。

  2. 今日からジムが再開され久しぶりのマシーンで汗をかきました。
    やはり部屋トレとは大違い。

    書道教室も机の並べ方が変わりSディスタンスが取られていました。
    新しいテーマは
       子燕のこばれむばかりこぼれざる   小澤實句

    先生宅の三つの燕の巣は大部古くなり一度様子は見に来たそうですが修復しないまま来なくなったそうです。

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