太子道柳芽吹ける蘇武井かな
環濠の東側飛鳥川沿いに、かつて集落の飲み水をまかなった井戸があった。
「蘇武井」(そぶい)と呼ばれる井戸は水清らかで日照りが続いても涸れることがなかったという。
聖徳太子が飛鳥と斑鳩を往復する道筋にあたっていたのだろうか、太子が駒をとめ給水されたとも伝わる古い井戸である。そばの石碑には「今井ソンボの朝水汲みは桶がもるやら涙やら」と歌の一節が刻まれており、毎朝水汲みをする苦労を歌っている。
一体は最近きれいに整備されて、井戸の傍らにあらたに柳が植栽されており、枝まで緑色した若い柳の芽がひときわ柔らかそうだった。井戸に柳というのは定番で、おそらくその昔も柳の枝が揺れる姿がみられたことだろう。
ちなみに、ここは自宅から飛鳥川伝いに飛鳥へ出る自転車道の道筋にあたっており、このあたりから川が東側におおきくカーブしながら飛鳥の里にのぼってゆく。
集落の飲み水を賄い日照りにも涸れることがない井戸は相当深く掘られていたのでしょうね。
井戸からの水汲みを経験している私、この歌に納得です。
風呂への水汲みは嫌いな作業の一つでした。
井戸の側の柳の芽吹きや枝の揺れが想像できます・・・
飛鳥川沿いは最近整備されたばかりで大きな井戸が二つ復活していました。中を覗きましたが深くてよく見えませんでした。毎朝の水汲みは東西600、南北300メートルのすみずみから東のはずれまで往復したでしょうから、大変な作業だったと思われます。
柳はまだ10年生くらいの若木でしたが、さらにあと10年くらいすればいい陰を作ってくれるでしょう。
昔、井戸は大切なものだったでしょうね。近在の人々にとっても旅人にとっても。
各地に産湯をつかった井戸とか、歴史上有名な誰彼が立ち寄った井戸とかありますものね。最近は名水だと世に知られますね。ポリタンク持参で汲みに来る人いますね。現代は趣味的なものですが、毎日、離れた井戸まで水汲みに行かなければ生活できなかった時代は大変だったでしょうね。
飛鳥の宮の下には多武峰の伏流水が豊かに流れているそうです。渡来人の知恵だと思いますが、飛鳥板葺宮の水道・下水道はそうした伏流水を巧みに利用したことが遺構などから発見されてます。
飛鳥から下流にある蘇武井というのはそんな伏流水をうまく利用したものかもしれないですね。
人のあるところ水あり。水と人は昔から不可分の関係で続いてきたものでしょうね。