国民服の先生

補習受く蒲鉾校舎冴返る

今はもうさすがに見られないだろう。

カマボコ校舎である。
元勤務地が旧軍開発地区にあって、20年ほど前に見たのが最後。テスト機などの格納倉庫として使われていたので相当大きなもので、戦後も長く倉庫として活用されていた。
いっぽう、校舎として使われたのは大抵は元兵舎であったもので、校舎が不足する時代には各地で活躍した。
雨露をしのげればいいというだけのものだから、春秋はともかく夏冬は大変である。
記憶をたどってゆくと、「もはや戦後ではない」と白書に言われて後も、国民服というのだろうか、年間通じて軍服のようなもので通した先生がいたことを思い出した。

季語の少なさに頭を痛めた2月もあと一日。
2月の代表的な季題「冴返る」はまた来年に。

“国民服の先生” への2件の返信

  1. 戦後70年を過ぎ戦前の面影はもうありませんね。
    小中学校の校舎も最近建てられるものは凡そ学校のイメージを越えて飛んでる感じで「こんなのでええんかいな」と思わずつぶやいたりしています。

    1. 折角コンクリート造りの建物作っても、50年もしないうちに解体してしまうってどうなんでしょうね。
      このでんで言うと、超高層ビルもそのうち耐久年限がきちゃうなんてなりかねませんよね。
      法隆寺をみてください。しっかり作られた建物は半永久的ですよ。学校の立て替えは木造を義務づけすれば、林業も再建できると思いますけどね。無機物のなかにいるとどこかに変調をきたすと思います。木の廊下、木の壁、木で囲まれた環境なら脳にもいいと思いますがね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください