荘厳の古りにしよけれ古都の春
興福寺の新中金堂をながめてつくづく思った。
古都・奈良のよさはその「古びよう」にあるのではないかと。
ぴかぴかの黄金もいいが、まぶしすぎてどこか成金趣味を覚えてしまうのだ。そこへいくと、やはりくすんだ金色のほうが心が和む。唐招提寺金堂の三尊像、薬師寺東院堂の聖観音像、などなど。
ニュースによると、修復中の薬師寺東塔の水煙が新しく作り替えられるという。あの凍れる音楽の象徴とも言える水煙が、新しくお目もじかなったときには、もはやレプリカにすぎないものとなる侘びしさ。もう風雪に耐えないのなら止むをえないとは思うが、どこか残念という思いは拭いきれない。せめて、塔とバランスのとれた渋い水煙が起ち上がることを望むものである。
「新年」という季題は非常に便利な、といったら語弊があるが、季語としてはたいへん幅広いものを包含する季語である。
傍題には本意である「年の始」をはじめ、「年改まる」「年頭」「初年」「年立つ」「年迎」「年明く」のほか、陰暦では「春」と同時期にくるので「初春」「明の春」「今朝の春」などがある。これを応用して「〜の春」となると無限に使い回すことも可能である。下手に使うと安直に流れて失敗もするが、掲句ではどうだろうか。
これは年賀状にでも使えそうな句なので来年用に取り置くかとも思ったが、それまで生きてる保証もないのでさっさと公開します。