七つの心得

肩越しにめでる雛や連子窓

土佐街道には「まちなみ作法七つの心得」と言って、古い町並みを維持するためのいわば景観維持協定のようなものがあるようだ。

その一つが道路に面した窓には連子格子などを用いることという決まりがあって、町の表情に一定のリズムを与えている。
雛巡りは玄関の土間から座敷を拝見するのが多いのだが、なかには道路側の連子窓から見せていただく趣向の家もある。グループでぶらぶら歩きしたりすると、いきおいみんなが同時に狭い窓の中をのぞき込むことになるので仲間の肩越しに見るということになる。
さらにこうした場合説明してくれる立会人もいないので、雛のいわれが書かれた小さな「謂書」を読もうとさらに首を前へ突き出しては窮屈な姿勢を強いられることになったりもしたり。

町家の古雛

このようにして、百近くもある町家の雛飾りをひとつひとつ巡っていると春の一日はたちまち過ぎてゆく。

“七つの心得” への10件の返信

  1. ほほ~ん 連子窓から眺めるお雛様ですか、なかなか風情がありますね。
    この句、いいですね。
    肩越しに背伸びして眺める光景が目に浮かびますよ。

    1. ありがとうございます。句会当日は句材がいっぱいありながら時間内にとても消化しきれなかったので、時間をかけながら詠んでいます。今日は連子格子や連子窓などを詠み込みたかったのが何とか形になったかな?
      明日は「竹取物語」の予定です。

  2. 吟行会のメンバーの皆さんが一斉に連子窓越しにお雛さんを見ようと押し寄せ、出遅れた貴方がメンバーの肩越しにお雛さんを見つめている光景は実に微笑ましいですね。
    旅行で施設や展示物を見るときによく経験することで、最前列のメンバーは熱心さは分かるのだけど、後ろにも見たい人がいることをすっかり忘れている姿は滑稽でもあるかな。
    これから春の陽気がよくなるとともに吟行会であちこちに出かけることが多くなると思うけど、位置取りに出遅れないよう頑張れ!!

    1. もともとね、何でも前列にしゃしゃり出るというのはしません。というか、こんな場合そんなに近くに寄って委細詳細を見るという気にはなれんのです。もし気になることを発見したら、その時はくどいほど見ますけどね。

      昔、富士がみえる研修所で朝から雨だったわけですが、「今日は雨で富士が見えないからつまらない」などと思ってはいけないと教わったことがあります。「雨には雨のよさがある」。「雨の奥にある富士を想像するだけでいろいろイメージがふくらむだろう」。そういう見方をすると、ものの見え方が変わってくる。そういうことなんですね。先生はその後も仕事でお世話になった人生経験豊富な詩人だったのですが、「手垢の付いた言葉を使うな」「自分の目で見たものを自分の言葉で語れ」。今、俳句であらためて噛みしめている教訓です。
      だから、とくに最前列で見なくても大体のことは見えるんですよ。

      そうそう、今思い出しましたが高校時代のアルバムなどを見ると、集合写真というのはいつも後列の端っこに立っていることが多いです。

      1. お二人のコメントを読んでいて考えました。
        写真撮影や何かの展示を見るときの位置取り、これってもしかして性格が顕著に出るのかもしれませんよね。
        私、意外と前にしゃしゃり出るし写真も前列中央にと無意識に行動していることに気づかされました。
        自己顕示欲が強い表れでしょうか?
        それこそちょっと自己嫌悪に陥りそう・・・

        1. それも性格の内、ということでいいんじゃありませんか?いつも後列でも別に自己嫌悪に陥った訳ではないし。

  3. 雛の写真を拡大して見ていたら、後ろにある屏風や鎧兜に目がいってしまいました。きっとこのお宅の大切なものを飾って通る人たちにみてもらいたいのでしょうね。
     観てもらって、楽しんでもらってこそ、物も嬉しいのでしょうね。死蔵はいけませんよね。

    1. そうなんです。昔からの商家では古い道具とか、江戸時代の色鮮やかな貝合わせの貝、とかいろいろ陳列されてるんです。あとでも書きますがこの町は薬の町でもあるんですが、今でも営業している漢方の店もあって薬研などもありました。
      謂われ書きなどを読んでると、このイベントをきっかけに死蔵していたものを思い切って公開することができてよかったというコメントもありましたよ。あるいは、家が全焼して焼け残ったものを中身をあらためて調べて雛があったとか。それぞれの家にそれぞれの歴史がある、ということでしょうか。

  4. いい吟行をしましたね。
    七つの心得ってのもいいですね。古い町並みを維持するのは大変なことだと思います。町全体の思いが一つになってないといけませんものね。それさえあれば七つでも十でも大丈夫でしょう。

    1. なかにはちょっとルール違反では?と思われる新築の家がありましたが、「協定」というほどの強制力もないのでしょう。
      ともあれ、天下一の山城・高取城の城下町だというプライドや意識がこうした町並み保存を支えているんだと思います。

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