椿守一輪活けて去りにけり
集落西の端に当時の様子をとどめる環濠が残されている。
内濠、中濠、外濠という3重に構成された堅固な要塞都市だったことが分かるのだが、訪れたとき落ち椿が壕一面に浮いており、蛙は鳴くは、羽化したばかりの水馬はいるはで、句材には事欠かない風情であった。
惣年寄だった今西家の茶室があったあたりは、壕に隣接した公園として提供され、杏、榎の初々しい芽が吹いたばかり。折良く公園管理を委嘱されている人がやって来られて、やおら公衆洗面所のペットボトルに、今を盛りに咲いているのを剪ってきた椿一輪を挿したとおもったらさっさと立ち去って行かれた。一連の動作はまるで毎日の日課でもあるように、挙措にまったくよどみがなく、何事もないがごとく済むのであった。
濠一面に椿が浮かんでいるなんて想像もできない珍しい風景です。
茶の湯に椿は欠かせなく特にワビスケは茶花として重宝されます。
お手洗いにさりげなく一輪椿を挿す、なんて風流な人でしょう。
しかもペットボトルというのが気取らなくて良いですね。
水馬(アメンボ)又一つ勉強しました。
今日は知多半島の入口、半田市へ行ってきました。
ここは江戸と明治の懐かしい情緒のある街並みで半田運河に沿った酒蔵と酢の里。
そして新美南吉記念館を訪ねました。
酒蔵の日本酒「國盛」に貼られたラベルの文字が河東碧梧桐の書と聞いて驚きました。
直筆の書も残っておりました。
子規の弟子とは知っていましたが書もかなりのものでした。
私はお酒よりも書に魅せられました。
運河沿いには柳の並木と黒塀の趣のある建屋が並びこの運河から江戸に酒や酢が運ばれたそうです。
柳はすでに柔らかな緑を水面に映していました。
やわらかに 柳あをめる 北上の 岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに 啄木
「ごんぎつね」の南吉、生誕百年とのことで地元の人は「しょうはっちゃん」(本名の正八)と呼び郷土の誇りにしていることを強く感じました。
秋には記念館脇の矢勝川の堤に1・5キロにわたり二百万本以上の彼岸花が咲き、童話の里を彩るようです。
半田市は酒・酢が特産なんですね。恥ずかしながら、競艇場があることくらいしか知りませんでした。
黒塀沿いの柳、運河というのはいかにも風情ありそうです。さらに今頃は柳も芽吹いて春爛漫ですね。
「ごんぎつね」の作者は夭折の童話作家だったんですね。なぜだか童話を綴る人には早死にする傾向が強いような気がします。
一連の吟行に因んだ記事、興味深く読ませてもらっています。キチンと記録に残していくことが大事だと思います。俳句も一段と格調高くなっているように思います(素人眼ですが)。
椿って随分長くありますね。というか種類によるのか立地によるのか花期が全く違いますね。考えてみると不思議な花に思います。
みなさんも川越ではいろいろな句材に授かったのではないでしょうか。
漫然と見るのではなかなかヒントが得られませんので、できるだけ細かいディテールの部分を見つけようと努力しています。そのせいか、今回は入り口で数枚撮っただけで街中の証拠写真が一枚もありません。
本来ならば、シャッターチャンスと作句というのは一致するはずなんですが、とりあえず断片のみノートに書き付けてあとで句にするということになってしまうのが初心者の限界。
椿は春の季語ですのでまだ使えるわけですが、種類とか地域によって花の期間は仰るとおり随分長いので助かります。また、壕に落椿というのは格好の句材ですが、まだよく詠めてません。面白いことに椿というのは花の先端部の方が軽いようで、どの花も一様に蕊を上にみせて浮かぶんですよ。これこそ句材なわけで難行苦悶、苦吟しております。