椿油

嘴に花粉すなはち島椿

椿油はもちろん椿の実から絞る。

盛んに花をつけた椿には、蜜を求めてメジロや鵯などの鳥がやってきて、受粉に一役買うわけであるが、そうなると花が落ちたあとにはすでに小さな実がみえるものである。そのあとは秋になるまで実が大きく育つのを待つばかり。
椿は伊豆大島などが有名であるが、ほかにも南の島でも主力産業として成り立っているところもある。

持ちつ持たれつ

そのなかの一羽椿の守ならむ

見事な椿には多くの鳥がやってくる。

ときには鳩のような大物がやってくるときがあるが、我が物顔して枝を揺らすのはやはり鵯のことが多い。
椿の立場からしても、おおいに蜜を吸うものがいて、受粉を促してくれるのは大歓迎のはず。
椿と鵯の持ちつ持たれつ、毎年同じ光景が繰り返される。

つらつらと

人寄せて止まぬ椿の大樹かな

こういうのをつらつら椿というのだろうか。

五メートルはあろうかという椿が、日当たりの良さもあってか、上枝と言わず下枝までびっしりと花をつけている。箒の掃き目も新しい根元の地面には真っ赤な花が散りはじめているが、まだまだ咲き続ける勢いを感じる。
山茶花の花期も長いが、椿もこうしてかつ開きかつ散りながら春のど真ん中を進んでいるのだった。
ここを通る吟行子はみな感心して見上げてるのだが、当日はこの光景を詠んだものは少なかった。
小子もこの光景を前に二、三十分腕を組んでいたが、いまだにうまく詠めないでいる。キーワードは今書いた数行の中にあるのだが、うまく言葉として醸成されてこないのだ。

落花狼藉

大輪の潔く落つ椿かな
落ちてなほ気品を放つ椿かな

法華寺の庭園・ 華楽園は今椿の盛り。

紅がぐっと凝縮されたような「紅詫助」の蕾。一方で、大輪の花が落ちても精気を失わず、その落花狼藉ぶりにもどこか気品があるような佇まい。椿は枝にあるものよりも、地に落ちたもののほうに目が行ってしまうのが不思議だ。

メジロが渡ってきて高い木の天辺で例の「キリキリキリッ」という声が聞こえてきたり、白梅の蜜を吸っている姿などを見ると、もうすっかり春だなあと思う。

茶室跡で

椿守一輪活けて去りにけり

集落西の端に当時の様子をとどめる環濠が残されている。

内濠、中濠、外濠という3重に構成された堅固な要塞都市だったことが分かるのだが、訪れたとき落ち椿が壕一面に浮いており、蛙は鳴くは、羽化したばかりの水馬はいるはで、句材には事欠かない風情であった。
惣年寄だった今西家の茶室があったあたりは、壕に隣接した公園として提供され、杏、榎の初々しい芽が吹いたばかり。折良く公園管理を委嘱されている人がやって来られて、やおら公衆洗面所のペットボトルに、今を盛りに咲いているのを剪ってきた椿一輪を挿したとおもったらさっさと立ち去って行かれた。一連の動作はまるで毎日の日課でもあるように、挙措にまったくよどみがなく、何事もないがごとく済むのであった。

窓からの光景

鵯の逆立ちしたる椿かな

昼食後見るとはなしに庭を眺めていたら、一羽の鵯がフェンスに止まった。

どうやら目当ては鉢植えの椿らしい。来るぞ、来るぞとみていたら果たして一番上の細い枝に止まった。随分長い間蜜を吸ったあと、今度は2番目に移ろうとするのだが、具合のいい足場がなかなか見つからないらしく下から背伸びしたり、首を伸ばししたりしているがどうしても届かない。すると、しばらく木を離れて思案の末、今度は花の上の枝をつかんで逆立ちする以外に方法はないと判断したらしく再挑戦、ようよう蜜にありつけた。

なんともないような光景だが、鳥たちの行動は眺めていても飽きないものがある。その後しばらくして、今度は見慣れないやや小型の番がやってきて庭に降りてはしきりに地面を突っついている。調べてみると羽の模様や嘴の形などから「河原ヒワ」とわかった。これは留鳥なので1年を通して見られるはずなんだけど、実際にこの目で見たのは今日が初めてだ。

ちょっとした時間でこれだけ観察できるくらいだから、気がつかずにいる鳥の世界にはまだまだ興味深い生態があるのかもしれない。