喉がかわくということ

今日の句を思案にくれて蜜柑むく

喉が渇いていると、思考も止まるらしい。
いくら考えても季語が浮かばない。
そこで、小ぶりの甘そうな蜜柑があったので食ってみると意外にうまい。次々と皮をむいては口に放り込む。
蜜柑というのはめったに食わないが、いざ食い始めるといくつも食えてしまうのが不思議だ。
脳の水分補給指示系統が満足した頃合い、秋のものだがこの句が誕生した。

明日は久しぶり、といっても当地で初めてなのだ、かねて念入りに磨いた自転車でポタリングしようと思う。
さてどこへ行くか。

“喉がかわくということ” への2件の返信

  1. 蜜柑って皮むくの面倒くさいんだけど食べ始めるとやめられない。その通りだと思います。
    蜜柑という漢字を見るといつも芥川の短篇、幼い姉妹兄弟のことを思いだし哀しくなります。でも真面目に生きてりゃあいいことあるさ。。。

  2. 思案の挙句にもこういった句ができるとは大したものです。
    句作の奥深さですね。参考になります。

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