飢餓世代

昭和期の団地の庭の蜜柑の木

高齢者が中心の団地には、決まって柿や蜜柑などの柑橘類など果樹がシンボルツリーという家が多い。

かつてバブル期前後には各地でおおいに宅地造成が行われ、新築、建て売りの家が考どんどん広がっていた。オーナーの年代と言えば戦中派、あるいは戦後の団塊世代などがその中核である。
考えるにそういう年代層の幼少期というのは、食糧事情も貧弱で果物というのはまことに貴重なものであった。自分の家をようやく持てて、狭くて猫の額と言われるようとも飢餓の記憶が庭の樹木として果物を選んだとしても不思議ではない。
かくいう私も、幼少期もらってきたのか買ったのか定かではないが、父が葡萄の苗木を家の前に植えたのを今でも鮮明に覚えている。ところが、その葡萄の木が実を生らせるのを見ることなく引っ越さなくてはならないようになった。
三十代も半ばになってようやくマイホームを手に入れたとき、心の底に沈殿していた葡萄の木への執着の念がわいてきたのも自然なことであった。
ただ何年かしてその葡萄の棚がシロアリにやられて以来、うまく実がならなくなった。
当地に越してきても、葡萄は植えたし、柿の木も植えた。
花より団子。飢餓世代は果樹から離れられないのである。
ところが、東側、西側の古い団地に囲まれた当団地は比較的新しく、三十代、四十代が中心でまず果樹は見当たらない。それどころか庭の木さえほんとうに少ない。共稼ぎ世帯も多く、庭の手入れが敬遠されたのだろうか。

箱買い

黄にそまるほど蜜柑食うたは昔

散歩から帰り蜜柑二個食う。

それからお茶など水分補給して一日の必要量の水分摂取は終わり。
ほんとはもっと飲まなければならないのだが、体が要求しないのである。
あとは風呂前に一杯飲んで、上がってまた一杯。これで確実に夜中に尿意をもよおして夜中に目が覚める。
水やお茶の代わりに蜜柑などをもっと食べればいいのだが、昔と違って多くは食べられない。買うのも一袋十個くらい入っているので家族二人には十分である。
かつては年末ともなると蜜柑は箱単位で買うもので、家族みなよく食べたものである。蜜柑好きが昂じてあきらかに顔や指が黄色になってみんなからからかわれたヤツがいたっけ。

時代劇そして歌謡曲

歌番組かけて蜜柑に手の伸びる

蜜柑がおいしい季節となった。

どうも走りの青蜜柑というのは酸っぱかったりしてあまり手が伸びないが、これから正月にかけて甘味を増した蜜柑が多く出回ると一度に二三個はぺろりといける。
蜜柑といえばテレビ、それも家族みんなで楽しむ歌番組というのがかつての典型的な家庭団欒の姿。
NHK/BSを見ていて時代劇が歌謡曲番組に変わり、今日の一句を思案していると自然に蜜柑の皮をむいている自分に気づいての一句となった。秋の季語であるが、自分には正月を中心に食うものとして冬のものというイメージが強い。

主不在

無住寺の熟れゆくままの蜜柑かな

寺にかぎらず人家でも最近は空き家が多い。

長く閉門されたままになっている家や寺などで、手入れもしてないと思われる木にたわわに稔った蜜柑や柿などがのぞいていて、そのまま放置されているのをよく見かける。
おそらくは誰も採ることもなくそのまま朽ちてしまうのだろうが、樹木はともかくやがて建物自体さえ廃屋になってしまうかもしれないと思うと暗い気持ちにさせられる。

喉がかわくということ

今日の句を思案にくれて蜜柑むく

喉が渇いていると、思考も止まるらしい。
いくら考えても季語が浮かばない。
そこで、小ぶりの甘そうな蜜柑があったので食ってみると意外にうまい。次々と皮をむいては口に放り込む。
蜜柑というのはめったに食わないが、いざ食い始めるといくつも食えてしまうのが不思議だ。
脳の水分補給指示系統が満足した頃合い、秋のものだがこの句が誕生した。

明日は久しぶり、といっても当地で初めてなのだ、かねて念入りに磨いた自転車でポタリングしようと思う。
さてどこへ行くか。