自宅葬

南天の花にふれたる喪章かな

家人が不在の間に、蕾であった南天の萼はおおかた散ってしまって黄色い雄しべ雌しべだけになった。

散った花片はあまりにも小さくて軽いせいか、勢いよく掃くと四方に飛び散ってしまうので丁寧にゆっくりと箒を使う。それでも、全部ちり取りに掬うのはできなくて、残ったのはタイルの目地などに張り付くなどしている。
往々にして人目につかないところに植えられていることが多くて日の目を見ることは少ないし、先ほども言ったように小さくて地味な花だから、面と向かってもなかなか句を授かることはできないで苦しんでいたが、逆にその狭さからヒントを得たのが掲句である。

故人宅での葬儀は今では珍しくなった。かつて、庭先から焼香したあと、狭い軒下を通って玄関脇に順路が設けられているのに何回か遭遇したことがある。その順路に南天を配してみるとこんなこともあるかなというシーンだ。
たいていは、家と境界の距離というのは1メートルくらいなので、木や花に触れないで通り抜けるのは難しい。まして、雨ともなったら花より高く掲げたりしなければならない。だが雨の場面として、花と傘のふれあいを詠むのはあまりにも月並みすぎる。ここは、さりげなく腕に巻いた喪章に狂言回しを務めてもらうこととした。
作りすぎの感なきにしもあらずだが。

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