8月15日

梵鐘の銘を目で追ふ敗戦忌
戦死者を刻す鐘鳴る敗戦忌

戦後に鋳造された梵鐘は多い。

なかには、はっきりと戦死者の名を刻んで、さきの戦争に散った若者たちのために作られたものもある。
ひとつの村で梵鐘の半面をおおうほどの戦死者の名があるということは、村の大半の若者が犠牲になったということである。
家人の実家の墓で見た七基の従兄弟同士の規模をはるかに上回るものである。
理由もなく自国の優位性をひたすら信奉し、何やら勇ましい発言があちこちで聞かれる昨今、かつてそういう言動をとった人たちに限って戦後もちゃっかり、しかものうのうと生き延びた人が多いことを忘れてはならない。

“8月15日” への4件の返信

  1. 終戦から73年、平成最後の戦没者追悼式が行われました。

    終戦記念日の今日、新聞紙上一日限定で平和の俳句が復活しました。
    六月の一か月間で全国から寄せられた作品は7,349句だそうです。
    すっかり有名人になられた夏井先生も選者でした。

    印象に残ったのは名古屋の中学生が詠んだ一句。
       僕たちと「普通」が違う少年兵
    ちなみに私も一句投稿しました。
       引き揚げてまだ見ぬ佐世保梅雨入りぬ

    1. 今年ほど、心配な終戦記念日はありませんでした。
      戦争を知らないものこそ、声高に勇ましい言葉を並べる時代。
      世を分断し、しかも意見の異なるものを無視、圧するごとき振る舞い。こういう輩が国を引っ張っていると思うと空恐ろしくなります。

  2. <理由もなく自国の優位性をひたすら信奉し、何やら勇ましい発言があちこちで聞かれる昨今、かつてそういう言動をとった人たちに限って戦後もちゃっかり、しかものうのうと生き延びた人が多いことを忘れてはならない。>

     昨夜のNHKスペシャル「ノモンハンの真実」。久しぶりに骨のある番組であった。1時間15分があっという間に過ぎてしまった。映像と肉声テープ。それにロシア、アメリカ、日本の資料映像を駆使しての歴史検証。

     責任とは、組織とは何か?ノモンハンから、太平洋戦争に突入していった無責任体制が明らかにされていました。

    1. インパール作戦同様ですね。
      己を知らず、敵をも知らず。
      愚かで、ただ声の大きいものたちに引きずられる現象は、アマスポーツの世界で相次いでいますし。
      異論を「問答無用」と切り捨てる風潮に、危険な匂ひを感じてなりません。

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