雨兆す風に落花のしきりなる
當麻寺吟行の日。
ちょうど練供養の日に当たり、花も期待できるとあって楽しみにしていたが、予報では昼頃より雨。
10時頃山門に着く頃には急に風が変わって、いよいよ雨催いの空である。
仁王門の桜が一陣のつむじ風に巻き上げられて落花おびただしい花吹雪となる。
雨兆す風と落花と。これは句になるに違ないのだが、いまひとつ物足りない。とくに下五が平凡に過ぎるのである。
その答が出句のなかにあった。
雨を呼ぶ落花の風となりにけり
完全に脱帽である。
案の定、主宰の特選となった。
句材としては申し分ないのに言葉の表現に苦心する、よくありますね。
これらはやはり繊細な感性でしょうか、それとも鍛えれば物になるのでしょうか?そこらへんがよくわかりません。
二十日間も映画から遠のいていました。
永遠の名作シリーズも10年目に入りついにラストイヤー。
スピルバーグ「未知との遭遇」2017年に公開40周年を記念したアニバーサリー・エディションが4Kファイナルカット版で蘇りました。
この映画のロケ地、アメリカワイオミングのデビルスタワーは10年以上も前に訪れた地、アメリカの大地のダイナミックさをいやが上に感じさせる旅であった。
こういう所に育った人間と日本のような島国に生まれた人間とでは本質的に違うものがあるのではないかと・・・
どちらが良いとか言う問題ではないのですが。
風土は間違いなく文化、ものの考え方、等々を左右しますね。
掲句と特選句の差など、日本人でなくては理解できないかも。
花筒に「足す」と「供える」の差も。