放心の後ろ姿

逝かるべき母の秋思の気高くも

今日は八回目の母の忌日である。

母は人一倍の暑がりで、その年の秋が訪れても毎日クーラーが欠かせず、それでも暑い暑いと訴えるのだった。
ある日の夕方、気がつくと網戸を開けて何を考えるのか、まるで放心したように柱にもたれては外気に触れるのを見た。
その後ろ姿はどこか気高いものを感じさせ、声をかけるのさえためらうのだった。
そのあと、一か月もしないうちに母は旅立った。
今朝はいつも以上に時間をかけて心経を供えた。

“放心の後ろ姿” への2件の返信

  1. もう八年ですか、早いですね。なんだか孤高さを感じます。
    だんだん身内の数が減り叔父、叔母と呼べる人も残り僅かになり心淋しいものがあります。

    台風後の実家が心配になり昨日午後からお墓参りもかねて三重へ。
    川沿いに立つ我が家は何度も浸水している。
    案の定雨漏りもひどく受けてあるバケツが満水で溢れていた。
    川音や流れもいつもより激しい。
    我が家の外観を眺めてみてつくづくボロ家だな~と感じた。
    いつ壊れても不思議ではなく雨風によく持っているものだ。
    私はいつも離れで寝ているので押しつぶされる心配はなさそうであるが・・・

    1. 故郷に家があって、手近に帰れるというのはある意味贅沢なことです。
      帰れるうちは何度でも帰ってお墓を詣でてください。

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