持ちつ持たれつ

ねこじゃらし枯れてこぼれて群雀

あのブラシの尾も葉っぱもみんな枯れて真っ茶色だ。

ひとの気配がなくなると、さっと電線から雀たちが降りてきては、なにやら猫じゃらしの根元をしきりに啄んでいる。
どうやら、ブラシのような穂から種が溢れているらしい。それをしきりに啄むのである。
最近はこのような群雀を見かけることが少なく、珍しい光景を見たものだと思う。宅地は開発され野原が少なくなるいっぽうで、道路などは舗装されさらに雑草の生きる空間も減るなかで、雀たちにとって生きづらい世になったものだが、このようにして冬を食いつないでいたのだなと思うと哀れをもよおさざるを得ない。
猫じゃらしの夏は猫の遊び相手となり、冬は雀を養う。雑草といえども、生きとし生けるものにとって世の中は持ちつ持たれつでできているのだ。

2 Replies to “持ちつ持たれつ”

  1. そういえば最近雀の群れを見なくなりました。
    猫じゃらしの種が雀たちの冬の食べ物だとは知りませんでした。
    あの群れていた雀たち、一体どこへ行ったのかしらね?

    1. 稲科ですからね、穂から零れる種、すなわち穀物の仲間です。ほかにもいろいろあるでしょうから、われわれ人間が雑草と一口でくくっているもののなかにはいろいろ食べ物になるのが多いのでしょう。
      昨夜のテレビで大林監督の晩年の言葉「いままでただの雑草だとおもっていたものなど、癌宣告を受けてからすべてが『命』だと思えるようになった」という言葉が印象的でした。
      反戦だとか平和だとか声高に叫ぶまえに、『命』を慈しむところから他人への関心、感謝が生まれ、おのずから平和な世に変えることができるのだ、と。
      俳句、とくに花鳥諷詠派、も同じように生きとし生けるものへの愛情の目を注ぐことから詩が生まれてくるのです。

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