六畳に最期を看取る秋暑し
六畳に介護ベッドの秋暑し
なんか今年はほんとの秋がくるんかいなと心配するほど、「秋暑し」の句がいくつでも詠めそうな気がする。
別に八畳でも、十畳でもいいけど、暑い感じを出すためには六畳のほうがいいと思った。介護ベッドなどを入れればなお狭く感じるものだ。何より、病人など看取る対象を詠むよりは場所に拘ってみたのだのがどうだろうか。それは、できるだけ自分の気配を消して客観的な句にもしたかったからだが。
間もなく九月ともなれば西日はますます傾き、部屋のなかにまで容赦なくさしてくるようになる。簾をかけたりするが、それではとても追いつけない。駆けつけて来た親類縁者なども出入りしてさらに暑さが募ってくる。もともと暑がりだった病人なので、クーラーを強めに効かせたつもりでもまだ「暑い」と訴える。もう十分涼しくなってるよと聞かせても、半ば意識がとんでる病人の耳には届かず途方に暮れてしまう人たち。
実体験から多少脚色した句だが、母を見送って間もなく四年になる。
9月が来るともう4年ですか、早いものですね。
ご自宅で看取ることができたのは良かったですね。
西日の傾くお部屋での病人のお姿がシルエットのように浮かびあがり孤愁を感じます。
施設に入る前は自宅八畳の仏間に電動ベッドで過ごしていた私の母も暑がりでした。
自宅にいた時はまだまだ頭もしっかりしていました。
何を想い日々暮らしていたのか考えると今なお切なく母が恋しいです。
忌日というのはなぜかすぐ巡ってくるような気がします。長い間子供のように懐いていた猫たちも、五回忌、三回忌でしたし。
去ったものは美しさだけを残してくれるのが慰めです。
お母様もきっと何の悩ますこともなく、穏やかな世界におられると思いますよ。