手花火の爆ぜて燭の火消えにけり
頑是なき子に手花火を持たせみる
手花火の手に姉の手の添へられて
いつの頃からだろうか。
線香花火がちっとも面白くなくなった。
というのも、燃焼している時間が昔に比べて極端に短くなっていること。と同時に変化にも乏しくなっていること。
線香花火は、燃焼過程でいろいろな変化があってこそ楽しい。初めに「牡丹」といわれる玉を形成しワクワク感が高まる過程、そして「松葉」と激しく火花を散らしてハラハラする過程、それがおさまると「柳」といって長く糸を引いたような過程を経て、最後は「散り菊」でパッパッと火花を散らしながら火の玉になって名残を惜しむ時間をはさみ、玉が落ちてその余韻に浸る。
こうした「起承転結」に富んだ花火の変化があるからこそ、一本一本が点火されていくたびその時間自体がいとしく、もっともっと続いてほしい、まだ終わらないでほしいという気持ちでせつなくなるのだ。
何とも味気なくなった理由は、いつのまにか外国製の安いのにとって変わられたからだという。
手作りで手間がかかる国産花火は価格で太刀打ちできなくなって、国産の線香花火は数パーセントしかないと聞く。
国産のものを手に入れようにも、そこらのスーパーやホームセンターなどでは見つからず、それこそネットで検索しないと手に入らない。
たとえ一本が百円、数百円しようが、本物の線香花火をもう一度かざしてみたいものだ。
線香花火の起承転結、おもしろいですね。
初めて知りました。
そう言えば子どもの頃に楽しんだ花火は今のよりもっと長く楽しめたような気がします。
最後の赤い玉の後には静寂があったものです。
あっという間にお終いの今の花火には起承転結の余地などありはしない。
NHK朝ドラが「ひよっこ」の前に10年ほど前の「こころ」を再放送しています。
下町の人情や花火職人の心意気が描かれていて改めて花火の奥深さを感じ再放送ながら新鮮な気持ちで観ています。
その職人魂は単なる娯楽作品と言うより芸術作品の域だとも思えます。
手花火のこんないい句もありますよ。
起承転結のステージが分かってないと詠めないし、読めませんね。あれほど燃えた激しい恋の終わりも見えてきます。
そう言えば、そんな朝ドラがありましたね。BSでやってるんですね。
線香花火の最後は、火の玉となり、やがて落ち余韻に浸る。まさに、夏の風物詩ですね。
これが間違って足の上にでも落ちたら、どうなります?
はい!間違いなく一生ものの傷として残ります。
そんなドジはせんでしょう。
恥ずかしながら、私の右足小指の付け根には、幼い頃の傷痕があるんです。はい。
三句目に詠んだような、お姉さまのアシストはなかったのでしょうか。火薬は紙のこよりに包んであって、ブラブラ揺れますからね。思わないところに飛んだのでしょう。
パニックになって、下駄の鼻緒の間に火玉をさらに転がしたとか。考えただけでぞっとしてきます。
Twinのお孫さんにはちゃんと教訓を伝えてあることでしょう。