信心する心

釣船の今日は貸切施餓鬼船

施餓鬼会を実際に目にしたことはない。

ないが兼題として求められるとひねり出すしかない。
それにしても掲句の甘さはどうだ。
宗教行事に迫る迫力がまるで出てないし、頭だけで作ったことが見え見えなのは情けない。

“信心する心” への5件の返信

  1. 楽しみにしていた海づり。ふと気がつけば施餓鬼船が近づいてくるではないか。なんとまあ!よりにもよってこんな日に!という作者の悔しがる風情が十分に伝わってまいりますよ。

    昨日の高校野球の優勝戦。今か今かと楽しみにしていた矢先、地域の部会に呼び出されやむなく会場へ。帰ってみれば事は決しておりました。

    東海大相模!優勝おめでとう!

    昨夜の「ニュースウオッチ9」から「ニュースステーション」「熱湯甲子園」まで見まくったことでした。

    1. 俳句は作者の手許を離れると、もう自分の俳句ではなくなりますね。
      思いも寄らない解釈をいただいて驚いてます。
      言いたかったのは、「普段は遊漁船なんだけど今日に限って施餓鬼船として貸し切りだ」と。
      表現がまだまだ甘かったですね。

      東海大相模は若い頃勤務先に近いこともあって親近感を感じてます。原監督の母校だしね。学生さんも割合品行方正だったような記憶が。
      45年振りとかで本当におめでとうと言いたい。

  2. 施餓鬼船、施餓鬼会ですか。全くの初耳です。こんな兼題が出る句会とはすごいですね。調べて想像して作るしかないのでしょうが実感がないとどうにもなりませんね。他人の句の良し悪しを判定するのも難しいんじゃないでしょうか。

    1. 歳時記にある限りはすべて兼題となり得ます。
      もう想像力,創造力の世界です。文学の一端であることは間違いないところです。

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