後ろめたさ

父巻くや吾が愛用せしマフラーを

突然50年以上前の思い出が甦った。

ある年の暮に帰省したら、少年時代に巻いていた手編みの毛糸を父が見つけて普段用に使っていたのだ。
実はこのマフラーには特別な思い入れがあるのである。
緑を基調とする糸で編まれていたが、あるところから色のトーンが変わっているのである。意匠上の理由ではなく、単に同色の糸が足りなかっただけなのだが、それを巻いて外に出るのは少年にしてみれば気恥ずかしくて長い間タンスに眠っていたのである。
すっかり記憶から遠ざかっていたものが突然目の前に現れると狼狽することがある。それはせっかく真心こめて編んでくれたものをないがしろにした後ろめたさから来ているのだろう。
そのマフラーを入院中にも巻いていた父はそのまま帰らぬ人となった。

実用的

マフラーの巻き方ちよいと変へてみる

今日もまた強い風。

首筋へ冷たい風が吹き込むとなお寒い。
テレビでスカーフの結び方をやっていた。これを真似てマフラーに応用してみたら隙間なく首を包めて暖かい。
今風の結び方と言おうか、意外に実用的である。
手術の日であるが、予定開始時間が大きく狂ったようでその後どうなったかつまびらかでないが、時節柄病院に問い合わせるのもはばかれ、本人の麻酔が覚めればLINEで何か言ってくるとのんびり構えている。