能がない

あの三月僕らはガスが落ちただけ

特別な三月である。

あの年は、実際にその時代に生きていた人にとってはさまざまな記憶があろう。
私にとっては、震度5を検知してガスが一時的にシャットダウンしただけで、電気も計画的停電がしばらく続いたとはいえ、全く遮断されたわけじゃない。
命の危険があったわけじゃない。
ただ、あの惨状をマスコミを通じて眺めるしか能がない自分に地団駄を踏むしかなかった。
今もこうして毎朝命をいただいていることに感謝することしかできない。