太郎を眠らせ

冬山の太郎次郎を町に駆る

一年に一度あるかどうかの美しい大峯を見た。

今日のように、一日中晴れて空気が澄んだ日で、暮れる前のほんのしばらくの間だけである。
というのは、自宅からみる昼間の大峯は逆光となり、山稜が黒々と見えるだけで山容、襞の重なりが見えないからである。夕日が大峯に当たるとき空気が澄んで視程がきけば、ようやく山の北西側部分の全容がくっきりと浮かぶのが見える。
今まで、台形のように一体に見えた弥山、八経ヶ岳が実は全く別であること、いろいろなピークが重なってどれが女人禁制の山上ヶ岳なのか分からなかったのが今日はそのピークがはっきり認めることができた。想像以上に凸凹した状態の山が幾重にもつながっているのだ。

奈良県は吉野川を境界として南側がすべて山である。県土の80%以上はあるんじゃなかろうか。山の間を塗って集落が点在するわけだが、どの村も人口減、村落消滅の危機に瀕している。
廃校が相次いだり、何百年も守り続けられてきた伝統行事が若い人たちがいなくなって維持できなくなったり、そんなニュースや話題が夕方のローカル放送でいくつも流される。同じような話では、男鹿半島でも若い衆がいなくなった集落では、高齢者が鬼の役をして各戸を回っているという。おそらく全国レベルでこんな事態がすすんでいるのであろう。

掲句の冬山は単なる冬山ではない。生きることが切ない山の暮らしの象徴である。雪に降り積もられる屋根の下はどこにも、もう子供の姿は見られない。