ディーエヌエイということ

友鮎の幟褪せたり参勤道

鳥羽へ、一度走ってみたかった伊勢本街道をようやく走破することができた。

県境では高見山、そして台高山地の山容に圧倒され、恐くなるほどだった。中央構造線と言われる、地球の割れ目のような断層が走っているところだからだろうか、目の前に峙つ姿の山と山とがつくる谷も深い。立山のロープウェイでも感じたことだが、山には抗しがたい神が宿るというのは本当だと思う。
この高見山を源流とする櫛田川の清流に沿うように下って松阪に抜けるのが和歌山街道で、紀州の殿様が参勤交代で通る道だったと言われる。波瀬地区には中央構造線が露顕している「月出」という観測所の看板もあった。調べるとヤワな車では上り下りが危険とあるので寄り道を諦めたが、一度は見てみたい現場である。
次に大きな集落が出たが、飯高の道の駅のある一帯であった。ここの蕎麦は注文してから出てくるのに時間がかかったが、コシが強くてなかなかうまい蕎麦だった。
町の案内図に小津安二郎資料館というのに目が止まったので、寄ってみることにした。
松阪五大豪商の次男で、10代の多感の頃を松阪で過ごしたというのを初めて知ったが、その最後の一年間をここ飯高の中学で代用教員していたらしい。
後に、その教え子たちが発起人となって「飯高オーヅの会」をおこし、小津を偲ぶ資料の数々を展示した資料館であった。館内には親切丁寧に説明してくださるボランティアの方もいて、なかなか興味深い陳列にしばらく時間のたつのも忘れるほどだった。

会社時代の友人にH君がいて、大事にしていた古い小津の本を借りたことを思い出し、説明の方に、もしかして小津の所縁で「H」という人はいないかと尋ねると、確かに小津組の一人にHと言う人がいて小津の片腕であったこと、その人の書いた本もあると教えてくれた。
H君は今某大学で学長をしているが、美術・芸術論の専門家にして素晴らしいエッセイをものにするほかアーティストとしても大変優れた人であったので、それはまさにそうした血が脈々と流れていたのだなとあらためて「才能」というものの不思議を思わざるを得なかった。
追補)実はこの部分が大変な勘違いでした。H君に確かめると、同じ発音でも字が違うと言われました。う~ん、なんという早合点、そして迂闊さ。それでも、H君の豊かな感性、人間性には一点もくもりない素晴らしいことは間違いありません。