霊園で

逆縁の墓を洗うて父老いぬ

墓参してきた。

霊園なので多くの人が家族連れで来ている。
他の墓碑銘を見るともなく見ていると様々な家族の歴史が見えたりするが、なかには早世した子の名を刻んだものもあった。子の名を刻んだだけの墓というのは寂しすぎると思った。

新盆

報告の相も変はらず墓洗ふ

家人の実家(高田さん)は新盆だ。

父母の田舎では旧盆だが、今日まとめて墓参してきた。
草をむしったり墓を掃除したりしながら、墓前に報告することは毎年同じようなものばかりだ。特別変わり栄えしないが、この「変わり栄えしない」ことが残されたものにとっては貴重なことのように思う。

新盆

朱の文字のひとも鬼籍に墓洗ふ

三重の真宗高田派は新盆らしい。

父母ともに実家は曹洞宗で旧盆であったが、初盆の法会はこの月末にお願いしてあるしお墓参りだけはと行ってきた。
一般には8月にお詣りする人が多いと見えて、どのお墓にも花が手向けてはなく、真上からの日射を気にしながらの作業ではあったが何とかお墓にたまった水垢などもとってさっぱりとした。
この墓は父が亡くなったとき母が建てたものなので、当時まだ十分に健康だった母の名前が朱文字で刻まれていたものだったが、とうとうその当人も地下の人となってしまった。

お詣りを済ませた後は、これも目的だったのだが名物の鰻を食いに津まで足を伸ばした。