ブレーカー落ちて湯浴の夏の闇
昔の家ではよくブレーカーが落ちたものである。
今は十分に計算されたアンペア契約をしているので、少しくらい電力に負荷をかけたくらいでは落ちることはまずない。
実際のところを言うと、浴室の電球が切れてやや暗い入浴となっただけのことである。二個付いているランプの片方が切れただけだし、特殊な球とあって買置きもなく片肺飛行だからそのまま詠んでも句にはなるまい。
日常のことを句に詠もうとすれば、
球切れて風呂の野趣帯ぶ夏の闇
くらいと、何ともつまらない。
そこで、何とか句として形にならないかと工夫して句を盛るのである。これで、今夜のことでなく遠い昔の追憶の句ともなったのである。前句は、
ブレーカー落ちて野趣帯ぶ夏の闇
「野趣帯ぶ」と言った時点で句に間がなくなって、面白くない。そこでさらに手を加えることにした。
俳人はよく嘘をつく由縁である。
私小説と言いながらそのままでは小説にならないので、脚色を加える作家と同じである。