勾配

探梅や二人交互に魔法瓶
探梅の橋を除けば坂ばかり

探梅の時期はとっくに過ぎた。

散歩ルートの梅林は二分咲きほどか。
三寒四温を繰り返すうちはゆっくり花の数を増やしてゆくので今年は満開までの長い時間を楽しめそうだ。
有名な梅林というのは、たいてい傾斜地だからときにはきつい勾配を余儀なくされて息が弾むが、気がつけばいつの間にか展望台に達していたりして、一望の梅を目の辺りにできる醍醐味も味わえる。
そう言えば、何年か前に病気に汚染されて切り倒された青梅の梅林はいまどうしているのだろう。

二月は雪から

探鳥の徑また梅を探る徑
梅一木また一木を探りゆく

先週、梅がほころんだ。

小さな梅園がいつもの探鳥を兼ねた散歩道の途中にある。通るたび必ず立ち寄るようにしていたが、蕾の様子を見るだけのつもりが、思わいもかけず開花しはじたのに驚かされた。
昨日はすでに何輪も開いていて、まさに毎日、梅一輪また一輪の歩みを見せている。
やがて、あっちの木、こっちの木と、スピードをあげながら本格的な梅の季節となってゆく。
今日は雪で外出は避けたが、二三日もすればまた違った景色が見られるにちがいない。

双葉より芳し

梅の芽のゆるむ兆しのかほりかな
晴るる日のくる日来る日の梅探る

散歩に出れば必ず梅園に立ち寄る。

蕾はまだ固そうだが、気のせいか香り立ってきているように感じて思わず振り返った。
冬と言うにはずいぶんあたたかくて、風もなかったので、かすかな匂ひが吹き消されずにあたりに漂っているのかもしれない。
「栴檀は双葉より芳し」とはいうが、梅というのも蕾というよりも、芽のうちから匂い立つということを今さらながら知ることができて新鮮な驚きである。

春待つ心

探梅の一枝指に添はせては
バス乗るやはや探梅の目になりて

ちらほら梅便りが届き始めている。

有名な梅どころならば開花情報を確かめて現地に行けば梅が楽しめるわけだけれど、「探梅」なる言葉を珍重する俳人というのは面白い人種で、開花している保証はなくても時節がくればとにかく吟行先へ行って開花しているのを見つけては喜ぶのである。梅の開花を発見するための苦労や、あるいは発見してはその苦労を句に詠むわけである。
だから、別に開花してなくたって一向にかまわない。咲いてそうな場所や雰囲気さえあれば、それを探梅と称して楽しむのであるから、一般の人にはなかなか理解されない行動であろう。

ある意味、俳句は季節をすこし先取りして詠む傾向にある。寒さの極にある今だからこそ春を待ちわびる心がいっそう募ってきているということだろう。

梅と弁当

探梅やいまだ開かざる食事処
探梅の三脚肩に堪へくる

来てみたけれどちょっと早かったようだ。

せめて食事でもと思うのだが店もまだ営業してない。
桜と違って梅を見るのに弁当を持ってくることはまずないから、売店にも見放されては長居は無用。また出直すほかあるまい。