無上の食べ物

早稲の香や迫田を奔る山の水

今でこそ全国的に有名だが、かつて熊野の丸山千枚田はひなびた山村であった。

バスは日に三便のみ、新宮と熊野の奥地・神川町を結ぶボンネットバスが、あえぐように風伝峠にたどり着いてそこで一服したあと、再び目的地へ向かう。
やがて目の前に千枚田の丸山が開けてきて、そこを大きく縫うようにしながら、ガタガタの道をバスは行くのだ。お盆休みくらいしか帰らないので、収穫が近くなった千枚田の風景は知らないが、青々とした稲田が一面広がっている光景は今でも思い出すことができる。
終点一つ手前の集落が父や母の郷で、南側に山を控え田も狭く畑だって石がごろごろしているような、それこそ寒村という言葉がぴったりの鄙びた村だったが、村の中央には南北朝時代の砦跡があって、それが南朝方の豪族の名を冠した神社となっているのだった。熊野川上流のこのあたり一帯は、南朝方に与して親王をお迎えして戦ったという気骨だけが残っているような空気もあったのだが、今や消えゆくのを待つと言うだけの限界集落となってしまっている。
夏は鮎、秋は山で採れた見たことのないような茸、それぞれに忘れられない味覚が体にしみついていて、今でもときどき鮎の甘露煮、鮎の出汁を使った素麺が無性に食いたくなる。これだけは全国のどこにも負けない無上の味だと信じているのだ。