蓑虫の萩衣

枯れ枯れて萩は乱れの糸とかず

咲ききった萩が枯れている。

乱れた枝が枯れるとそのまま糸のように細くなって、まるでこんがらがった糸のように見えてくる。
よく見ると、いくつかの株には絵に描いたように蓑虫がぶら下がっている。まさに蓑虫の萩衣である。
いつ、どんな条件がそろえば顔を出して冒険の旅に出るのか、それは分からないが、小春日が続くような日並みには目撃できるかもしれない。

元興寺

凩の鰐口なぞる奏かな
萩枯るるままに僧房静まれる

元興寺極楽坊跡を訪れた。

凩ほども冷たくはない風が騒いだかと思うと、堂の正面の軒に吊した鰐口が微かに鳴った。
鰐口というのは神社などにお参りしたときに鳴らすあのジャラジャラである。
綱には長い五色の領巾がついており、これが風にあおられて綱を揺らし鰐口に撫でるような触れたのである。

もう一回聞きたいとしばらく佇んでみたが、音はそれっきりだった。
気を取り直して堂の周囲を見回してみると、大きく広がった萩がまさに枯れようとしている。
そう言えば、ここは萩の寺。
元興寺は元々法興寺(飛鳥寺)から平城京に移築されたもので、堂の瓦には当時のものがまだ使われている。時代を経て何度も修復されたのだろう、時代時代の瓦も混じってまだら模様になっているのがちょっと離れたところから眺めるよく分かる。

戦乱で焼けた跡は強力な後援者もないまま人々が住み着き奈良町の元になっている。

朱印所の小屋に覆いかぶさるような南京櫨はすっかり葉を落とし、小さくて白い実だけがはっきりと見えた。

庭片付け

枯萩といへど枝の先まで生きてをり

枯萩は名ばかり枝の枯れやらず

「萩を刈る」は晩秋の季語。

ただ、同じ刈るものでも「萱」「蘆」というのは刈り取ったものを再利用するという目的があるが、萩の場合はあくまで翌年の芽出しを促進するためのものであることが特徴だ。
根元からすっぽり刈り取ってしまうのだが、もう既に来年の芽はしっかりついているし、刈り取った断面をみても青々としていて決して枯れてはいないことが分かる。

玄関のアプローチに植えた萩は今年で二年目だが、通行の邪魔になるくらいものすごい成長力なので今日天気のいい日を選んで移植することにした。跡にはヒメシャラを植えたが、他にもいろいろ庭かたづけがあってようやく一息つける頃には日が暮れ始めていた。