嵯峨御流

撓まざる榠樝の枝の瓶にあり

嵯峨御流(ぎょりゅう)というそうだ。

嵯峨天皇の御世、大沢の池の菊を活けたものが素晴らしかったのでこれを範として生まれたのが嵯峨御流の興りだという。
大覚寺の玄関門脇には屋外に生花が展示されていて、黄色く熟した榠樝の実をつけたままの枝ぶりのしっかりしたものがダイナミックに活けられていて、否応なく目にとまる。じっくり拝見する時間がなかったのが惜しまれるが、あの黄色い実の重さに耐えている、葉も落ちた枝のたくましさが頭から離れない。

K君のこと

今はもう誰も拾はぬ榠樝かな

Masaru.K君のコメントで南アルプス市のことを思い出した。

カリンを段ボール箱一杯つめてクルマに積んで帰ったときのことだ。
あの日は旧芦安村の露天湯から紅葉のパノラマを楽しんだあと、帰途に通りかかった果樹園で、一面の葡萄やリンゴ畑のなかにぽつんと一本のカリンの木が目についたのでクルマを停めた。近くにたまたまオーナーの方がおられたので雑談していると、今はもう誰も採らないから好きなだけ持っていって良いという。
大変大きな古木で、かつては商業栽培していたのが今では採算がとれず放置していたのがたまたま残ったのだという。大きくて無骨な形をしているもの、小さくても完熟しているものなど、これらを入れた段ボール箱もまたいただいたものだった。

帰りの車中は何とも言えない良い香りに満ちあふれ、持ち帰ったカリンを蜂蜜漬けのジャム、果実酒にしていっぱい作ったことは言うまでもない。

ところで、Masaru君の苗字のイニシャルはK、かれのコメントから消息が伝わる伊勢原のK君、磯子のK君、板橋のK君、そして僕もKだ。偶然の一致?ともいえるがそうでもないとも言える。学校のクラス分けがアイウエオ順でたまたま同じクラスだったのである。また、それが縁で同じ男声合唱団に属すことになり4年間苦楽をともにした仲間なのである。
この「苦楽をともにする」ということがキーポイントで、それがなくては友情も芽生えないし育たないし、シェアしあうことでその後の人生を通しての長いつきあいが可能になる。どちらかと言えばライバルとしての関係のほうがまさる仕事仲間ならなおさらそうである。先日飲食をともにした、奈良検ソムリエを目指すK君もまた会社時代の戦友だと言える。
毎日のように拙ブログに励ましのコメントをくれるキヨノリ君も高校以来の仲間だ。
あれ?ソムリエのK君、キヨノリ君の苗字もまたK君であった。