六尺ふんどし

水練の海へ全校汽車に乗り

伊勢の小学校に3年生から5年生までいた。

この学校は市内でも最も古く、駅前の市外に位置するためかプールもなかった。
そこで、夏になると全校で参宮線に乗り二見の海岸まで行くのが恒例だった。
男子全員は赤いキャップをかぶり、白い六尺ふんどしを締めるのが何となくきまりが悪かったが、まさに水練の出で立ちである。

その前の学校は大阪で小さなプールはあったが、一学期が終わって二学期に転校していたので、ろくに泳ぎを覚えないまま3年生の夏を迎えたのである。
言ってみれば、本格的に泳ぎを練習したのがこの二見の海が初めてのようなもので、沖へ向かわないよう海岸と平行して泳ぐ練習をするわけだけど、手足をバタバタするだけでちっとも前に進まない。すると先生の手がするっと伸びてきてふんどしの腰の結びの部分をひょいと持ち上げてくれて指導に当たってくれる。
こういうときは六尺ふんどしというのは大変便利なもので、溺れかかった子でもひょいと拾える。今なら、海パンの上に腰巻きを巻いたようなものだろうか。

そうこうして、5年生にはまた夏休みに転校するのだが、転校先はあの荒波の洗う熊野である。児童の10%以上は漁師の子たちだから、海ではとても一緒には遊んでもらえない。
とうとう泳ぎができないまま、今度は中一の夏には津へ転校となった。

結局、泳ぎを覚えたのは大人になってからで、プールの水泳教室に何年か通い一通り形にはなった。
その後立派な市営プールができたというので、一時は一日1キロ泳ぐのを目標にするまでにはなったが、当地では公営プールが少なく、あってもすこぶる遠くて入場料も高くとても週に何回も通えない。
このあたり、海のない県だからもっと充実してくれたらいいのにと願わずにはいられない。