クラス会

出席と返書したたむ燈火かな

中学のクラス会の案内がきた。

毎年10月ごろに開かれており、今年はもしかしたら俳句仲間との一泊吟行とぶつかってしまうのではないかと危惧していたが、どうやら大丈夫のようだ。去年は奈良に引っ越ししたばかりだったので何はともあれ出席と思っていたが、案内をもらった時には母が重篤の状態だったのでやむなく欠席したのだった。

ところで、この会には特別な思い入れがある。
全校でよくもこれだけのワルを集めたものだというクラスで、下級生のホームルームでは「あの組には近づかないように」と通達されるほどだったらしい。だから、担任の先生のご苦労は並大抵ではなかったはずだが、その先生はまだまだ健在でいらっしゃる。もう4,5年はお会いしてないのでお顔を見るのが今から楽しみである。
級長をやっていた私としては、ことがあると一致団結するクラスはおおいに自慢だったし、だいいち運動神経抜群がそろって運動会ではダントツの優勝、卒業生総代も才媛のH嬢さんがつとめるなど学力もなかなかのもの。ひとりひとりがそれぞれの光に輝いてクラス全体がいきいきとしていて、昨今の「いじめ」などは微塵も感じることはなかった。今風に言えば、みんなお互いに「レスペクト」していたと言える。

ただ、この歳になるとすでに物故者となった人がいるのもやむを得ないことだが、そのなかで一昨年に亡くなった、当時番長をはっていたO君のことは終生忘れないと思う。複雑な家庭事情があってグレかけたが、もともと頭がいいし、強きをくじき弱きを助けるという任侠心にあつかったのでクラスの誰からも愛されていた。中学を卒業してそれぞれの道に進んでから交流は一時途絶えたが、受験に失敗した僕に声をかけてくれたのがO君だった。何度か一緒にドライブに連れて行ってくれたし、夏には紀勢町の海のキャンプに誘ってくれた。誰もいない静かな海に潜って見たことがないような珍しい貝を獲っては食い、疲れれば昼寝したり、今思えば失意にいる僕を精一杯なぐさめようとしてくれた彼らしい思いやりだったのだ。

往復葉書の返書に「出席」と丸をつけながら、ひとしきりいろんな仲間の顔を思い浮かべるのだった。